アメリカで1941年に公開された映画『市民ケーン』。新聞王ケーンのモデルは実在する人物ということもあり話題を呼んだ作品でした。その『市民ケーン』の脚本を書いたのはハーマン・J・マンキーウィッツ。彼はこの作品でアカデミー賞脚本を受賞しますが、マンクが『市民ケーン』に込めた想いは、当時のハリウッドや権力への怒りでした。
『Mank/マンク』作品情報
タイトル | Mank/マンク(Mank) |
監督 | デヴィッド・フィンチャー |
公開 | 2020年12月4日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間11分 |
Rotten Tomatoes
[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・美術賞
・撮影賞[/box]
あらすじ
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脚本家ハーマン・J・マンキウィッツ は、のちに不朽の名作となるオーソン・ウェルズ の「市民ケーン」の仕上げに追われていた。
アルコール依存症を抱えながらも機知と風刺に富んだ彼の視点から、1930年代のハリウッドが新たな姿で描かれる。
(出典:https://www.youtube.com/watch?v=84rvy8PGjhU)
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映画『市民ケーン』
1941年に公開された映画『市民ケーン』。
監督・主演・脚本・製作を全て務めたオーソン・ウェルズ。
彼には映画製作権の全てが与えられて、自由に映画を作ることが許されていました。
そんな中オーソン・ウェルズが作ったのは『市民ケーン』です。
その『市民ケーン』の脚本を書いたのが映画『Mank/マンク』の主人公であるハーマン・J・マンキーウィッツでした。
当初は映画の中でも描かれているように、脚本家としてクレジットしないとマンクは契約をミスんでいましたが、その契約を破棄しマンクは映画に自分の名前をクレジットすることをお願いしまし。
このことでオーソン・ウェルズとマンクの関係にはヒビが入ったようです。
そしてマンクは『市民ケーン』で、アカデミー賞脚本賞を受賞することになります。
ただし、この『市民ケーン』は実在する人物をモデルにしたことからかなり物議を醸す作品となりました。
なぜならそのモデルとなった人物は権力のある人だったからです。
それでもマンクは権力に屈せず自分の書きたい物語を書き続けました。
そこにはマンクの権力者に屈しない強い思いがあったように思えます。
だから一度はクレジットしないでいいと契約した自分の名前を、オーソン・ウェルズを怒らせてでもクレジットすることにしたんだと思います。
権力に屈せず本音で自由に生きてきたマンクだったからこそ、『市民ケーン』の脚本を書くことができたのです。
権力を使い富と名声を手にしても寂しく人生を終えてしまった新聞王ケーン。
そこに彼の皮肉と強いメッセージが込められているのです。
『市民ケーン』のモデル
映画『市民ケーン』は新聞王となり権力を手にしたケーンの成功と衰退を描いた物語です。
そのケーンのモデルとなったのが、当時新聞王と呼ばれていたウィリアム・ランドルフ・ハーストです。
それは『市民ケーン』の脚本を呼んだ人ならすぐにそのモデルが分かるほどでした。
メディアを使ってハリウッドだけでなく、世の中を動かしていたハースト。
愛人を映画に出演させることなど可愛いもので、『Mank/マンク』の中ではハーストが大統領の顧問を選ぶと描かれています。
実際にハーストはかなりの権力者で、彼が新聞に嘘を書いたことで戦争まで起きてしまったほどです。
このことは『市民ケーン』の中でも描かれています。
さらにマンクはケーンだけでなく、ケーンのマネージャーとして彼といつも一緒にいたバーンステインのモデルを当時MGMの社長だったルイス・メイヤーにしました。
このメイヤーは当時ハリウッドを牛耳っていた人物と言われています。
そんなメイヤーのもとでマンクは働いていましたが、マンクはメイヤーの横暴ぶりに嫌気がさしていました。
ハーストとメイヤーは大恐慌時代で市民が苦しんでいることは全く関係ありません。
いつも地位とお金のことばかりしか考えていませんでした。
さらに2人は結託して、当時のカリフォルニアの州知事選に圧力をかけます。
ハーストは新聞でメイヤーは映画を巧みに使って、市民が共和党の候補に票を入れるように導きました。
それを間近で見ていたマンク。
彼の怒りはついに爆発し、『市民ケーン』になったのです。
マンクは映画の中で新しい作品に悩むメイヤーに、現代のドン・キホーテはどうですかと言っています。
どんなに称賛を浴びても満足できない男は常に愛を求めていた。
しかし誰も彼に愛を与えてくれない。
それは彼が大切にするのは権力だと分かっていたからだ。
そうマンクはハーストとメイヤーの前で言います。
そして後にこれは『市民ケーン』で描かれるケーンになったのです。
マンクが映画『市民ケーン』の中で描いたのは、現代版ドン・キホーテだったのです。
まとめ
映画史上最高の作品と呼ばれることの多い『市民ケーン』。
この作品は脚本家マンクの権力に対する強い抵抗でした。
そして周りが辞めた方がいいとマンクを説得してもお、彼はこの作品に関わることに大きな意味があったのです。
そしてそれはハーストやメイヤーだけでなくオーソン・ウェルズを怒らせることになっても、マンクにとってはやらなければいけないことだったのです。