1932年に公開された『暗黒街の顔役』は当時の法律禁酒法によりギャングによって牛耳られたシカゴの様子を描いた作品で、実在したギャングのボス アル・カポネをモデルにしています。ギャングによる戦争をリアルタイムで描くことで、市民の恐怖と政府の責任を訴えた映画でもあります。
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『暗黒街の顔役』作品情報
タイトル | 暗黒街の顔役(Scarface) |
監督 | ハワード・ホークス |
公開 | 1933年3月13日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 1時間33分 |
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ギャングが支配する世界
1932年にアメリカで公開された映画『暗黒街の顔役』はギャングに支配された街が描かれていますが、それは実際に当時シカゴで起きていることでした。
1920年に制定された「禁酒法」によりギャングは密造酒の製造や販売で勢力を伸ばしていて、市民を恐怖に陥れていました。
映画は「この映画はギャング支配を告発する」という字幕から始まり、さらに「政府に無関心を非難する」と続きます。
実際『暗黒街の顔役』のモデルとなっている当時のシカゴは、賄賂によって市や警察は腐敗しギャングが牛耳っている街でした。
映画『暗黒街の顔役』は実際に「今」起きていることを映画で描き、政府や市民に訴えかけた映画だったのです。
「政府はどうするつもりか?」「映画を見た皆さんはどうするのか?」と映画は観客に問いかけます。
それは賄賂をもらい彼らの行動を黙認する政府や、何もしない市民に対して「このままでいいのか」という厳しい非難でもありました。
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アル・カポネ
『暗黒街の顔役』の主人公トニーのモデルはこの時代シカゴを牛耳っていたアル・カポネで、トニーの顔の「傷」がそれを象徴しています。
トニー・カモンテ(別名「ジョー・ブラック」)は、ニューヨーク出身で膀胱や強盗また禁酒法違反などの前科持ちで、今はギャングのボスの用心棒をやっているという設定になっていました。
そしてそのトニーがのし上がりボスになるまでを描いているのが『暗黒街の顔役』ですが、実際アル・カポネもニューヨーク出身でその後シカゴに移り街を牛耳るようになりました。
映画の中ではアル・カポネという名前はもちろん出していませんが、トニーの行動はカポネと重なります。
また映画自体も「ここに描かれた事件は全て事実の再現である」と説明しているように、劇中に出てくるバレンタインデーに起きた殺人事件などは本当になった出来事です。
「聖バレンタインデーの虐殺」は1929年2月14日に起きた事件で、アル・カポネ一味が密造酒を巡って敵対するギャングを7人殺害しました。
映画と同じように敵のボスはその場にいなかったため助かりましたが、この事件は市民を恐怖に陥れる大きな事件で、その後映画にもなっています。
この事件の後カポネは脱税容疑で逮捕され刑務所に入ることになります。
(カポネが脱税容疑で逮捕されるまでは映画『アンタッチャブル』で描かれています)
なので『暗黒街の顔役』のトニーのラストは実際のカポネに起きたこととは違いますが、カポネをモデルにすることで当時のリアルさを描き、また当事者意識を観客に与える作品となりました。
まとめ
禁酒法時代に本当に起きていたことをリアルタイムで描いた映画『暗黒街の顔役』。
それはギャングが支配したシカゴ、さらにシカゴを牛耳っていたアル・カポネがモデルになっていました。
当時の社会問題を真正面から描くことで、政府や市民にその責任を追求したのが『暗黒街の顔役』だったのです。