なつは東洋動画初の女性アニメーターとして雑誌の取材を受けるなど、アニメータとして順調に成長していました。1963年アニメは映画だけのものではなく、テレビの世界でも大人気となります。そしてなつはテレビアニメに挑戦することになったのです。
第17週「なつよ、恋の季節が来た」
https://twitter.com/asadora_nhk/status/1152865831124164608
[aside type=”normal”]
1963年、なつは優秀な女性アニメーターとして注目されていた。
その実力を買われ、坂場と一緒に新設されたテレビ班に行くように仲から命じられる。
「鉄腕アトム」が大ヒットしたのを受け、東洋動画は本格的にテレビ漫画に進出することになった。
映画に未練を感じる坂場を励ましつつ、なつはテレビの世界に飛び込んでいく。
テレビ特有の効率優先のアニメ作りに戸惑いつつも、なつは新たな表現の開発に取り組む。
(出典:https://www.nhk.or.jp/natsuzora/story/17/)
[/aside]
テレビ漫画のスタート
https://twitter.com/asadora_nhk/status/1153152725393321984
なつはテレビ漫画に挑戦することになりますが、それは虫プロダクション制作の「鉄腕アトム」が大ヒットしたことを受けてのことでした。
手塚治虫原作の漫画「鉄腕アトム」。
このテレビ版は1963年1月1日〜1966年12月31日まで放送された人気テレビアニメです。
日本で最初の本格的な連続テレビ漫画として、全193話放送されました。
テレビがまだ全ての家庭にはない時代でしたが、それでも大ヒットし国民の心をつかんだ作品です。
『なつぞら』の中で一久さんが言っていた通りフルアニメーションではありませんが、毎週放送するという画期的な作品だったのです。
なつたち東洋動画では、その時代の流れを受けて連続テレビ漫画を制作することになります。
フルアニーメーションにこだわる一久さんでしたが、なつたちは制限された中でできることを生み出し、アニメーターとしての想いを作品の中に込めました。
なつたちが挑戦した作品は「百獣の王 サム」ですが、これは『狼少年 ケン』のことだと思われます。
『狼少年 ケン』は1963年11月25日〜1965年8月15日まで放送されました。
坂場一久さんのモデルである高畑勲監督も『狼少年 ケン』に演出として参加しています。
ちなみにテレビ漫画に移動された一久さんが落ち込んでいる時、上司の露木さんは「君はアニメーターに嫌われている。しかも労働組合にも参加しているから」と言っていましたが、実際に高畑勲監督は東映動画労働組合の副委員長を務めています。
この組合活動を通して宮崎駿監督と出会うことになるのです。
もちろんなつのモデルである奥山玲子さんも『狼少年 ケン』に作画監督として参加しています。
彼女たちの努力が今の日本のアニメの基礎を作っているのです。
時代の流れと夢と恋愛
https://twitter.com/asadora_nhk/status/1154168169025671168
戦後の復旧を果たし大きく時代が変わろうとしていた日本。
それはアニメーションや演劇の世界などの芸術面でも同じでした。
時代が変わり新しいももが次々と生まれています。
なつが挑戦することになったテレビ漫画もその1つです。
そして雪次郎の所属する劇団にも時代の流れがやってきます。
亀山蘭子で成り立っている劇団「赤い星座」でも若手が新しい劇団を作ろうとしています。
蘭子さんと共演することが夢だった雪次郎。
彼は念願だった蘭子さんの共演を果たします。
そして彼の心の中では蘭子さんへの思いは、尊敬から恋愛に変わっていました。
またなつ自身も一久さんとの関係を悩みます。
一久さんの気持ちが分からないなつ。
それは一緒に作品を作る同士でもありましたが、すでに心の中では彼に対する違う感情が芽生えていたのかもしれません。
一久さんはテレビ漫画で新しい考えを生み出すなつに対して、尊敬とは違う感情を持っているみたいです。
時代に流れに翻弄されずに、しっかりと自分の足で時代を歩いていく若者たち。
仕事に対する思いと夢と恋愛と。
雪次郎の恋愛は散ってしまいましたが、雪次郎は次のステップに踏み出しました。
川村屋で修行していた頃の雪次郎とは違う、男らしい凛々しい顔つきになっていました。
今度はなつと一久さんが次のステップに踏み出番です。