NHK『偉人たちの健康診断』新選組・土方歳三“お掃除男子”美肌の秘密

新撰組副長の土方歳三。武士に憧れ夢を叶えますが時代に翻弄された人物でもありました。その土方はイケメンとしても有名で美肌だったと考えられています。今回はそんな土方歳三の健康診断です。

目次

新選組・土方歳三“お掃除男子”美肌の秘密

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新選組・鬼の副長として恐れられた土方歳三。

端正な顔立ちに加え、記録によれば、女性もうらやむほどの「美肌」だったという。

近年の研究で、土方が人一倍熱心に打ち込んでいた「剣術の奥義」に、美肌の秘密があることがわかってきた。

さらに、新選組の名を一躍世に知らしめた池田屋事件を成功に導いたカギが「掃除好き」にあった可能性が浮上!

掃除をすることで鍛えられる驚くべき能力とは?

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-05-30/10/10105/1800053/)

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土方歳三

1835年生まれの土方歳三。
農民の子供に生まれた彼の夢は武士になることでした。

江戸時代末期でったこの時代は、剣の腕に優れていれば農民の子供でも武士になれる時代だったのです。
土方は剣術を磨くために、天然理心流で剣の腕を上げていきます。

1863年に幕府が京都に向かう将軍の警護を募った時、同じ道場の近藤勇や沖田総士とともに名をあげ京都に向かうことになります。
そして京都で近藤勇をリーダーとする新撰組を結成したのでした。

反幕府の勢力を取り締まる新撰組。
ゴロツキ集団とも言われてしましたが、池田屋事件によって有名となります。
反幕府勢力の集まる池田屋に向かい、幕府に対する反勢力を未然に防ぎ幕府を守ったのでした。
これにより新撰組の評判は上が理、彼らは有名になったのでした。

しかし時代は江戸末期。
幕府の終了とともに新撰組も追われてしまいます。

新政府と旧幕府の戦いで幕府側についた新撰組。
戊辰戦争で破れ東に逃げていきますが、千葉県の流山で新政府軍に囲まれてしまいます。

近藤勇に投降を進め、土方自身は会津に向かいます。
土方は会津で近藤の処刑を知り、落ち込んでしまったのでした。

そんな土方は武士として最後まで戦うべく函館に向かい、函館戦争に加わります。
しかし最後は新政府軍に敗れた旧幕府軍。
土方はこの戦いで命を落としたのでした。

イケメンのモテモテ男

土方歳三はかなりのイケメンでモテていたようです。
自身が実家に送った手紙にモテっぷりが書かれていました。

色白で美肌だった土方。
それがモテモテにつながったようですが、彼の美肌は剣術にあったと考えられます。

彼の学んだ天然理心流は、腰のひねりが多い武術です。
それにより体幹や脚の筋肉が鍛えられます。
これが土方の美肌を作り出していました。

足腰の筋肉が多いとマイオネクチンと言うホルモンが多く分泌されます。
このホルモンは肌のメラニン色素を抑制するホルモンです。
これにより色白の肌が作られていました。

また天然理心流の呼吸法。
ゆっくり呼吸することで、感情をコントロールし冷静になります。
これがストレスホルモンを抑えみずみずしい肌を作っていました。

土方の美肌は彼の剣術の鍛錬により作り出されていたとも考えられるのです。

空間把握能力

池田屋事件で新選組が活躍できたのには、彼らの空間把握能力の高さにあったとも考えられています。

池田屋は鴨居が低く廊下が狭く戦いにはかなり不向きの場所でした。
そんな不利な場所で勝利を収めた新選組。
それは彼らが空間把握能力が高かったからです。

それには掃除好きが関係しているかもしれません。
土方は自分の俳句に掃除のことを詠んでいます。
掃除をすることで空間を把握することが高められると追われています。

普段から掃除好きだった土方は、もしかすると空間把握能力が高かったのかもしれません。

時代に翻弄された男

武士になりたいという子供の頃の夢を叶えた土方歳三。
しかしそれが彼の人生を早めることにもなってしまいました。

近藤勇の死を知った土方はショックから、会津で引きこもりの生活を送っていました。
そんな彼が5ヶ月後には函館の戦いに参加していました。

5ヶ月の間でショックから立ち直ったのには、会津の流水の温泉が関係あるようです。
流水により脳に刺激が渡り少しずつ心が回復していった土方。

自分のせいで処刑された近藤の代わりにも、最後まで武士の姿でいることを決め函館に向かったのでした。

敗戦覚悟の戦いだったとも考えられますが、武士として敵に背を向けず最後まで戦ったのが土方歳三だったのです。

自分の理想とする武士像を貫いたのでした。

 

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