ミケランジェロ・アントニオーニ監督の『太陽はひとりぼっち』。愛の不毛3部作の最後の作品です。時代に翻弄され愛さえも確かなものではない様子を描いた作品のラストは、永遠と続く街中の風景で終わりを迎えます。
『太陽はひとりぼっち』作品情報
タイトル | 太陽はひとりぼっち(L’eclisse) |
監督 | ミケランジェロ・アントニオーニ |
公開 | 1962年12月19日 |
製作国 | イタリア/フランス |
時間 | 2時間6分 |
『太陽はひとりぼっち』あらすじ
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明確な理由のないまま婚約者と別れ、退屈な日々を過ごしていた女性ビットリア。
ある日、投資家の母が通う証券取引所で知り合った株式仲買人の青年ピエロと急接近し、新たな恋をはじめようとするが……。
(出典:https://eiga.com/movie/46494/)
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愛の不毛3部作
ミケランジェロ・アントニオーニ監督も「愛の不毛3部作」と呼ばれる『情事』『夜』『太陽はひとりぼっち』。
それまで愛は絶対的なものとして描かれていた映画を覆すように、愛でさえ確かなものではなく愛することの意味さえ分からなくなってしまう主人公が描かれています。
3部作の主人公は全てモニカ・ヴィッティが演じ、虚しさを感じているヒロインを演じていました。
『太陽はひとりぼっち』でも婚約者と別れ、新しい愛を見つけた主人公ヴィットリアでしたが、やはり虚しさと侘しさを感じてしまいます。
ヴィットリアが新しく恋に落ちたのは証券マンのピエロ。
アラン・ドロンが演じているのでその容姿はかなりのイケメンです。
証券会社に勤め巨額のお金を動かす仕事をしているイケメンのピエロ。
新しい車を買ったり生活に不自由はなく、イタリアの経済成長の真っ只中を生き抜く青年でした。
何も不自由のないピエロと恋に落ちようとするヴィットリアでしたが、お金に取り憑かれているピエロにどこなわびしさを感じていたのでした。
証券取引所で故人を偲び1分間の黙とうでさえ10億リラが動くと言うピエロ。
彼の言葉や取引所での怒涛のシーンは、お金や富というもに支配されつつある人間の様子を描いていました。
そして人との関係性が分からなくなっているヴィットリアは、愛さえ理解できなくなっていたのでした。
街中の風景が続く難解なラストシーン
ヴィットリアは新しい愛に出会いピエロと結ばれます。
別れぎわ「明日も明後日もその次の日も」会おうと言い合います。
今夜8時にいつもの場所でと約束し別れます。
その後二人は画面に登場することなく映画は終わってしまいます。
映し出されたのは二人の代わりに街並みの風景です。
貧しさの残る町と近代的な建物がたちつつある街並み。
そこにはほとんど人がいません。
新聞には「各国、核の競い合い」という見出しになっています。
時間が過ぎていく街を映していますが、ほとんど人がいなくて寂しさを感じてしまいます。
ヴィットリアがピエロと別れた時の顔もかなり憂鬱な顔をしていました。
新しい愛を見つけたけれども、外は何も変わっていないのです。
愛は何も変えてくれなかったのです。
愛があってもなくてもも虚しさは空虚感は変わらず心に漂っているのです。
そんなヴィットリアの心を街の風景で描き、さらに核へと進んでいく人間の愚かさを表現しているのがあのラストシーンになっていたのでした。
まとめ
愛の不毛3部作の1つだけあって、『太陽はひとりぼっち』を見ると心に虚しさを感じてしまいます。
愛だけは美しいものであるはずなのに、愛を見つけても何も変わらない。
そんな憂鬱な世界が描かれていました。
難解な作品ではありますが、多くの映画監督に影響を与えたのが愛の不毛3部作でもあります。
ここから愛が絶対ではなくてもいいんだという映画が誕生したのでした。