映画『風立ちぬ』あらすじと解説 ラストシーンに描かれた宮崎駿監督の思う生きることの意味

宮崎駿監督の長編アニメーション映画の最後の作品となる『風立ちぬ』。宮崎駿監督自身を重ねた作品でもあり、また監督の考える「生きる」と言う意味が、ラストシーンに込められてもいました。

目次

『風立ちぬ』作品情報

タイトル 風立ちぬ
監督 宮崎駿
公開 2013年7月20日
製作国 日本
時間 2時間6分

Rotten Tomatoes

『風立ちぬ』あらすじ

(引用:MIHOシネマ

飛行機が作りたかった男の物語

https://twitter.com/EigaKazetachinu/status/358239851230932993

子供の頃から飛行機を作ることが夢だった二郎。
彼はその夢を叶え、飛行機を作ります。

結果的に彼が作ったのは戦闘機であり、戦争で使われる兵器だったのです。

二郎は単に飛行機が作りたかった。
それが時代的に戦闘機、ゼロ戦へと繋がってしまったわけです。

宮崎駿監督は「彼らに罪はないとは思っていませんが、彼らは彼らの時代を精一杯力を尽くして生きているんだ」と二郎のことを述べています。

映画の中で登場するカプローニが何度も二郎に「力を尽くしているかね?」と問いかけます。

時代に翻弄されながら正しいことかどうなのか分からないこともありますが、それでも自分の持っている力を尽くすこと。

その思いを宮崎駿監督は二郎の姿を通して描いたのでした。

飛行機を作りたいと言う夢を追い続けた二郎の少年時代から青年になるまでを描き、色んなものを背負った二郎の人生はきっと宮崎駿監督自身のことでもありました。

だからこそ、きっと宮崎駿監督はこの作品をラスト作品とし、また初めて自分の作品で涙を流したのではないでしょうか。

『風立ちぬ』には堀越二郎、堀辰雄そして宮崎駿の人生が重ねられているんだと思います。

「生きる」意味を描いたラストシーン

http://www.ghibli.jp/kazetachinu/prono.html

ゼロ戦を作り上げた二郎。
ラストシーンでは彼が初めてカプローニと出会った草原に、二郎とカプローニが立っています。

彼らの横をゼロ戦に乗ったパイロット達が飛び立って行きます。
二郎は「一機も戻ってきませんでした」と言います。

二人が立っているこの場所は一体どこなのでしょうか?
これについては鈴木プロデユーサーが「煉獄」と説明していました。

煉獄とは天国と地獄の間にある世界です
そこにカプローニと二郎は立っていたのです。

そこに菜穂子がやってきて「生きて」と言います。
最初は「来て」と言うセリフだったのは有名な話ですが、あえて「生きて」に変えました。

この「生きて」が宮崎駿監督の考える「生きる」意味だったのです。

生きることは正しい事ばかりだけではない。
時には辛いことも、ひどいこともやらなければならない。
でもそれが生きることなんだと。

どんな苦境の中でも力を尽くして生きなければいけない。
二郎は震災や戦争の中を力を尽くして生き抜いたのです。

戦争の兵器であるゼロ戦を作った二郎。
からが背負ったものは想像できないほど重いものでしょう。

それでも彼は生きるのです。
生きなければいけなかったのです。

そんな「生きる」ことへの宮崎駿監督のメッセージが、ラストシーンに込められていたのでした。

まとめ

宮崎駿監督の長編アニメーションの最後となる作品『風立ちぬ』。

主人公の二郎に自分自身を重ね、また彼が多くの作品で描いて来た「生きる」意味の集大成でもあるのが『風立ちぬ』でした。

生きることは簡単ではなく辛くもありまたきついことだけど、それでもどんな時代でも生きなければいけないのです。

「力を尽くして生きてるか?」ラスト作品で監督が私たちに問いかけた質問でもありました。

 

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