アメリカとソ連が激しい冷戦を繰り広げていた1957年。ブルックリンでソ連のスパイであるルドルフ・アベルが逮捕されます。彼を弁護し死刑判決にならないようにしたのは、弁護士のジェームズ・ドノヴァンでした。それから5年後、ジェームズはそのアベルを巡って冷戦中のアメリカとソ連の最前線に立たされることになってしまうのでした。
『ブリッジ・オブ・スパイ』作品情報
タイトル | ブリッジ・オブ・スパイ(Bridge of Spies) |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
公開 | 2016年1月8日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間22分 |
Rotten Tomatoes
あらすじ
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米ソ冷戦下の1957年、ニューヨーク。
ルドルフ・アベルという男がスパイ容疑で逮捕される。
国選弁護人として彼の弁護を引き受けたのは、保険を専門に扱う弁護士ジェームズ・ドノヴァン。
ソ連のスパイを弁護したことでアメリカ国民の非難を一身に浴びるドノヴァンだったが、弁護士としての職責をまっとうし、死刑を回避することに成功する。
5年後、アメリカの偵察機がソ連領空で撃墜され、アメリカ人パイロットのパワーズがスパイとして拘束されてしまう。
アメリカ政府はパワーズを救い出すためにアベルとの交換を計画、その大事な交渉役として白羽の矢を立てたのは、軍人でも政治家でもない一民間人のドノヴァンだった。
交渉場所は、まさに壁が築かれようとしていた敵地の東ベルリン。
身の安全は誰にも保証してもらえない極秘任務に戸惑いつつも、腹をくくって危険な交渉へと臨むドノヴァンだったが…。
(出典:https://www.allcinema.net/cinema/353946)
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[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・助演男優賞:マーク・ライランス[/box]
U-2襲撃事件
ソ連と冷戦時代のアメリカは、ソ連の核攻撃の脅威に怯えていました。
1957年にソ連が人類初の人工衛星の打ち上げに成功すると、アメリカ国民は核に怯える日々を送っています。
『ブリッジ・オブ・スパイ』にも描かれていますが、学校では核攻撃に備えての授業が行われるほどです。
アメリカ政府はソ連の情報を集めようとしますが、ソ連の恐ろしいほどまでの秘密主義によりほとんど情報が集まりませんでした。
そんな中、CIAは情報を集めるために、偵察機U-2を開発しました。
U-2は秘密だらけのソ連や東側諸国の上空を飛行し、写真を撮影することが目的でした。
映画の中ではアベルが逮捕された頃にこのU-2による偵察が始まっていましたが、実際はそれよりも前にてU-2は飛び始めていました。
1956年9月にはパイロットのパワーズは、ソ連国境での初めての飛行任務を行なっています。
そのパワーズが1960年4月30日にU-2に乗り込み、偵察飛行を行います。
この偵察では初めてソ連の領域内を通り抜けるルートを飛行することになりました。
しかし結果、この飛行でU-2はソ連のミサイルによって撃墜されてしまいます。
(実際は直撃しておらず、ミサイルは機体をかすめただけでした)
連絡を受けたアメリカ政府は当初偵察機は破壊され、パワーズは死んだと思っていました。
なぜなら映画でも描かれているように、もしソ連側に撃墜されたら機体を破壊し、パイロットは自殺することになっていたからです。
しかしパワーズはパラシュートで着地した後、KGBに捕まってしまいます。
そしてソ連で禁固10年の刑を言い渡されたのでした。
冷戦時代のドイツ
ソ連側に捕まってしまったパワーズと、アメリカが捕まえているアベルの捕虜交換が行われることになったのは1962年のことです。
アベルが逮捕されてから5年後、パワーズがソ連側に捕まってから2年後のことでした。
捕虜交換のためにジェームズ・ドノヴァンが向かったのは、東ベルリンです。
当時冷戦時代の東ベルリンはとても複雑な状態に陥っていました。
第二次世界大戦後、ドイツはアメリカ・フランス・イギリス・ソ連の4カ国によって分割して占領されます。
その時、ソ連の占領内にあった首都のベルリンは、ベルリンの中だけで4カ国に分割されました。
しかし次第にアメリカ・イギリス・フランスとソ連の関係が悪化したことで、1949年にアメリカ・イギリス・フランスの領土を合わせたドイツ連邦共和国(西ドイツ)が発足し、ソ連は自国の占領地にドイツ民主共和国(東ドイツ)を発足させました。
この時に4カ国に分割統治されていたベルリンも西ベルリンと東ベルリンに分けられることになります。
ベルリンはソ連の領域内にあったので、東ドイツの中に西側諸国の西ベルリンがあるという、複雑なこ戸になってしまったのです。
西ベルリン・東ベルリンと分けられた中、東ベルリンの人たちは西側に移りたいと思うようになり多くの人が西側に逃亡しました。
これにたいして東ドイツは、西ベルリンへ脱出する人を防ぐために壁を作ろうと考えたのです。
そしてベルリンの壁の建設が始まります。
『ブリッジ・オブ・スパイ』の中でも、ベルリン内で壁が建設される様子が映っていますが、この壁の建設に巻き込まれて、東ドイツ側に捕まってしまったのがアメリカ人留学生フレデリック・プライヤーだったのです。
ソ連領域内に墜落したパワーズはソ連に、東ベルリンで捕まったプライヤーは東ドイツの管轄になります。
東ベルリンの存在をアメリカは認めていなかったため、東ドイツはそれを求めさせるためにもプライヤーとアベルの交換を望んでいたのでした。
しかしジェームズ・ドノヴァンは2対1の交換を成功させました。
アベルとパワーズは西ベルリンと東ドイツを結ぶグリーニッケ橋で交換され、プライヤーは西ベルリンと東ベルリンの国境検問所チェックポイント・チャーリーで解放されたのでした。
まとめ
実話を元にして製作された映画『ブリッジ・オブ・スパイ』。
弁護士として人権を守り抜いたジェームズ・ドノヴァンの信念が描かれている映画です。
それと同時に冷戦下のアメリカとソ連の関係、さらには東ドイツや東ベルリンの状況なども学ぶことができる映画になっていました。