天才ピアニストドクター・ドナルド・シャーリーと用心棒のトニー・リップ。1962年に彼ら行った演奏ツアーをもとに作られたのが『グリーンブック』です。北部でも黒人に対する差別が残る中、もっと差別のひどい新南部に向かった二人。そこで彼らが経験したことはこの時代に残り続ける多くの差別でした。
『グリーンブック』作品情報
タイトル | グリーンブック(Green Book) |
監督 | ピーター・ファレリー |
公開 | 2019年3月1日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間10分 |
Rotten Tomatoes
[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・作品賞
・助演男優賞:マハーシャラ・アリ
・脚本賞[/box]
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
1962年にディープサウス
天才ピアニストドクター・ドナルド・シャーリーが南部のツアーに出たのは1962年です。
南北戦争で奴隷解放が行われてから100年経つのに、まだまだ人種差別が残っていました。
トニーのクラス北部のニューヨーク・ブロンクスでも差別はありましたら、南部へ行けばよりその差別は強くなります。
南部にはジム・クロウ法が存在していたからです。
南北戦争で北軍が勝利したことで黒人は解放されましたが、南部では代わりにジム・クロウ法が作られ黒人に対する差別は続いていました。
このジム・クロウ法は各州によって内容が異なります。
南部で黒人が困らないように、黒人のガイドブックとして使用可能な施設などを掲載したのがグリーンブックでした。
南部で二人が経験した差別は当時普通に起こっていたものです。
・ホテル
・レストラン
・トイレ
など様々なものが白人と有色人種で分けられています。
またトニーとドン・シャーリーが捕まる事になってしまった時に警察に言われた「黒人は夜外出しては行けない」というのはジム・クロウ法に基づくものでした。
また旅の途中で車が止まってしまった時ドン・シャーリーが見た光景は、農場で働く黒人の姿でした。
奴隷制度は廃止されたとは言え、南部での黒人の仕事はほとんどが重労働でした。
他に仕事もなく子供の女性も働いています。
南部の黒人の現状とドン・シャーリーの違い。
南部に来て差別を受けているドン・シャーリーでしたが、彼の暮らしは南部で暮らす貧しい黒人達とも違っていました。
見た目は黒人であっても黒人でも白人でもないという葛藤が彼の心の中にはありました。
だからこそその苦しさを消すために彼は毎晩お酒を飲んでいたのかもしれません。
またその苦しさの1つの中にゲイだったこともありました。
実際のドン・シャーリーはカミングアウトはしていないので、事実はどうか分かりません。
映画の中でも語っているように、彼は一度結婚し、離婚後はずっと独身でした。
ゲイだったのではないかと言われていますが、そのセクシャリティもまた彼を苦しめていました。
1962年のアメリカでは人種差別と同様に、同性愛者への差別もありました。
この頃アメリカでは同性愛は軽犯罪として扱われていました。
そのためドン・シャーリーは逮捕されそうになっていたのです。
人種だけでなくセクシャリティにおいてもマイノリティだったドン・シャーリー。
『グリーンブック』で描かれる彼の苦悩が、1962年のアメリカの現実だったのです。
トニー・リップ
イタリア系アメリカ人のトニーはその腕っ節から用心棒としてシャーリーに雇われます。
映画の中でトニーが言っているように、彼はアメリカ陸軍に所属しドイツに駐留していました。
その後「コパカバーナ」で用心棒として働き、ここで多くの有名人と顔なじみになったようです。
この時の活躍がドン・シャリーとの出会いにつながるのですが、彼はドン・シャーリーとのツアーを終えた後は俳優になっています。
映画のラストでは「コパカバーナ」の支配人となったという説明がされていますが、その後彼は俳優に転身したのです。
腕っ節の強さやその体格から、犯罪者はマフィアのボスを演じることが多かったトニー・リップ。
彼を有名にしたのはドラマ『ザ・ソプラノズ 哀愁のマフィア』での犯罪王の役でした。
その後もたくさんの作品に出演していますが、その始まりは「コパカバーナ」での出会いだったようです。
トニーにとってドン・シャリーとの旅は人生において大きなもになったはずです。
たった8週間の旅ではありましたが、この度でトニーは色んな経験をしました。
それはきっとドン・シャーリーも同じはずです。
きっと二人にとって1962年の出来事は忘れられないものとなったでしょう。
まとめ
1962年のトニーとドン・シャーリーの旅を描いた『グリーンブック』。
この映画を見ると1962年のアメリカでどんな差別が起こっていたのかを感じることができます。
キャデラックという当時のアメリカを象徴する車に乗りながら旅した二人。
古き良きアメリカの時代の車と言われているのがキャデラックですが、彼らが見た現状は当時のアメリカに根強く残っていた差別だったのです。