1993年ソマリアの市街戦「モガディシュの戦闘」。米軍単体で行った作戦は、当初の計画と違い壮絶な戦闘へと発展してしまいます。多国籍軍がソマリアから撤退する気かっけとなってしまった、激しい市街戦を描いたのが映画『ブラックホーク・ダウン』です。
映画『ブラックホーク・ダウン』作品情報
タイトル | ブラックホーク・ダウン(Black Hawk Down) |
監督 | リドリー・スコット |
公開 | 2002年3月30日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間24分 |
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
ソマリアの内戦
1969年にクーデターを起こし政権を握ったモハメド・シアド・バーレ大統領。
彼の独裁が始まり、ソマリア国内の貧困は激しさを増していきます。
やがてバーレ政権に対する反政府組織が立ち上がり、武力行使を行うようになりました。
反政府組織は1980年代の終わりにはかなり勢力を強め、1991年には内戦が勃発しついにバーレ政権は失脚します。
そして新たにアリ・マフディ・ムハンマドが大統領に就任します。
しかし、反政府組織の中にもムハンマド大統領に対する反対勢力が出来上がり、それがモハメッド・ファッラ・アイディード将軍率いるアイディード派でした。
アイディード将軍は首都を制圧し大統領を首都から追い出します。
内戦は過激化する当時に、ソマリア国内の貧困はますます激しくなります。
多くの国民が亡くなっていく中、大統領は国連に平和維持軍の要請を行なったのでした。
モガディシュの戦闘
ソマリアから要請を受けた国連は、1992年アメリカ軍を中心とする多国籍軍をソマリアに派遣します。
これに対してアイディード将軍は多国籍軍に攻撃を仕掛け宣戦布告をし、1993年6月アイディード派は国連のパキスタン軍に攻撃を仕掛けパキスタンの兵士24名が亡くなってしまいました。
またアメリカ軍も攻撃対象となります。
アメリカは事態を一刻も早く納めるために、アイディード将軍拉致計画を実行します。
それが映画『ブラックホーク・ダウン』で描かれた、ソマリアの市街戦モガディシュの戦闘です。
[box class=”red_box” title=””]・デルタ・フォース
・陸軍レンジャー部隊
・第160特殊作戦航空連隊(ナイトストーカーズ)[/box]
がアイディード将軍拘束のために投入されます。
1993年10月3日アメリカ軍はアイディード派の幹部を拘束する作戦を実行します。
これはアメリカ軍が単独で行なった作戦でした。
当初30分で終わるとされていた作戦で幹部の拉致まではうまくいきましたが、その後民兵たちの激しい攻撃に遭い動けなくなってしまいました。
さらに空から掩護を行なっていたブラック・ホークが民兵のRPGによって撃墜されてしまいました。
レンジャー部隊やデルタ・フォースは攻撃を受けながらもブラック・ホーク墜落地点に向かいます。
捕虜を乗せた車輌部隊も墜落地点にいる兵士を救出に向かおうとしますが、彼らもまた激しい攻撃を受け基地に戻るしかありませんでした。
さらにもう一機のブラックホークも撃墜され、圧倒的な劣勢に立たされてしまった米軍。
司令官は米軍第10山岳師団に救援を要請し、1994年10月4日の早朝マレーシア軍とパキスタン軍と共に残された兵士たちの救出を行いました。
アイディード派の幹部を拘束する作戦は成功しましたが、この戦いで米軍は18名・国連軍2名の兵士が亡くなり(その後米軍兵士が1名死亡)、多くの兵士が負傷しました
その後
モガディシュの戦闘を受け、当時の大統領ビル・クリントンは、ソマリアからの米軍の撤退を決めます。
その後1995年3月には多国籍軍も全てソマリから撤退してしまいました。
しかしソマリア国内での内戦はその後も続いていくのです。
まとめ
1993年ソマリアの市街戦「モガディシュの戦闘」を描いた映画『ブラックホーク・ダウン』。
激しい市街戦と言われる戦いの前線で、何が起きていたかを知ることができます。
追い詰められていく米軍、そして女性や子供関係なく銃を持つソマリアの民兵。
そこは想像以上に壮絶で悲惨な戦場だったのです。