ここまで感情を揺さぶられる作品は久しぶりだ。映画を見始めた最初からずっとドキドキしていた。けして楽しい意味でのドキドキではなく、ふつふつと湧いてくるドキドキ。でもそれが何なのか分からない。見終わってまだ分からない。答えがない。答えを出したくても出せない。苦しかったしきつかった。でも絶対に見なきゃいけない映画が『許された子どもたち』。
『許された子どもたち』作品情報
タイトル | 許された子どもたち |
監督 | 内藤瑛亮 |
公開 | 2020年6月1日 |
製作国 | 日本 |
時間 | 2時間11分 |
あらすじ
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とある地方都市。中学一年生で不良少年グループのリーダー市川絆星は、同級生の倉持樹を日常的にいじめていた。
いじめはエスカレートしていき、絆星は樹を殺してしまう。
警察に犯行を自供する絆星だったが、息子の無罪を信じる母親の真理の説得によって否認に転じ、そして少年審判は無罪に相当する「不処分」を決定する。
絆星は自由を得るが、決定に対し世間から激しいバッシングが巻き起こる。
そんな中、樹の家族は民事訴訟により、絆星ら不良少年グループの罪を問うことを決意する。
果たして、罪を犯したにも関わらず許されてしまった子どもはその罪をどう受け止め、生きていくのか。
大人は罪を許された子どもと、どう向き合うのか。
(出典:http://www.yurusaretakodomotachi.com/#top)
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心の中に沸き立つもの
『許された子どもたち』を見ていると色んな感情が湧いてきては消え、そしてまた違う感情が湧いてくる。
それが131分続く映画だった。
しかも湧いてきた感情は処理されずに、心に残ったままだ。
そして残り続けた感情で次第に苦しくなる。
答えが欲しくても、答えをくれない。
何が正しいのか分からない。
そして「自分のこの感情は?」とどんどん追い詰められる映画だ。
この記事を書いていても正直まだ心が落ち着いていない。
なので、ここで私の心をざわつかせた者・物をあげてみる
主人公・絆星
なんていうキラキラネームなんだと思いながら見始めた映画。
緑夢(ぐりむ)なんという名前の子もいて、今どきだなと思いながら見ていた。
しかしそんな呑気のなは最初だけ。
主人公の絆星が同級生を殺してしまう。
しかし裁判で不処分。
ここまでの経緯もすでに心はざわついていたが、「きっとこの子は寂しいんだ」なんて思いながら見ていた。
過保護な母親のもとで苦しんでいると最初は思っていた。
誰かが手を差し伸べてあげたらなんて思っていたが、それは大間違いだった。
せっかく彼を救おうとしてくれた桃子がいたのに、彼は桃子さえも傷つけた。
自分の思うようにならなければ、怒る少年だった。
心に闇を抱えているんだと思っていたけど、それは大きく裏切られた。
闇を抱えてはいるのかもしれないが、絆星は闇に呑み込まれていた。
結局殺人と向き合わずに逃げただけだ。
そして勝手に「自分が死ぬ夢を見たら再生される」という夢占いで、全てを終わらせようとしている。
再生したら樹君の亡霊も消えてしまうの?
それでも彼は生きている。
罪を償わず、向き合わずこのままこの社会で生きていくのだ。
大人たち
息子・絆星を必死で守ろうとする母親。
「絆星は殺していない」と思い続けようとする母親。
「こんな母親だから」と思うが、この映画に出てくるまともな大人はほとんどいない。
息子の本当の姿を見ない母親
何も言えず逃げ出した父親
緑夢を脅し絆星を救おうとする弁護士。
被害者の子供の遺影を物扱いする裁判所の職員。
不処分を下した裁判官
転向しろという校長先生
絆星の家にやってくるマスコミ
絆星の母親に嫌味を言う近所の主婦
いじめを対処できない学校の先生
絆星の母親に本を書かないかという出版社
どれもひどい大人だ。
しかしふと「自分はどれにも当てはまらないの?」と考えてしまう。
この状況に置かれたら、どうするの?
親だったら?学校の先生だったら?マスコミだったら?
「映画の中のようなことは絶対にしない」と言い切れる自分はいなかった。
だから苦しい。だから悔しい。
私もまともな大人ではないのかもしれない。
ネット
「法律が絆星を処罰しないなら、代わりに自分が処罰する」そんな正義を振りかざし、加害者を追い詰めるネットの中の人たち。
彼らは匿名で好き勝手に書く。
確かに絆星は罪から逃げた。
でもそれを代わりに私たちが罰していいのだろうか?
ただし、絆星とその母親には全く罪を償う様子はない。
「このまま野放しなんて」と思う自分もいる。
ネットに書かないまでも心の中で彼らに正義を突きつけている自分がいる。
今の世の中きっと逃げきれない。
彼らはいつまでも絆星を追いかけるのだろうか?
彼らは絆星をどうしたいのだろうか?
突きつけられた現実
様々な感情が湧く中、突きつけられた現実もあった。
中傷される被害者家族
1つは被害者家族も追い詰められるということ。
彼らまで中傷の的になるとか思っていなかった。
「正義」は被害者家族まで追い詰める。
裁判でお金を得ようとしているなんて思われる。
大切な息子を失い、裁判で痛めつけられ、さらに踏みにじられる。
すごい現実を知った。
いじめの実態
もう1つはいじめの実態。
学校というものから離れて随分経った。
中学校なんてなおさらだ。
先生がいじめの授業を行っている時の、生徒の考えに唖然とした。
「いじめられる方も悪い」。
「いじめられる側に問題があるからよくない」。
「いじめられる側の間違いを正さなくてはいけない」。
いじめが「正義」になっていた。
てっきりいじめは「嫌い」「気に入らない」「変わってる」から発生すると思っていたが、全く違った。
「間違った」「悪いことした」子を、罰しているのが現代のイジメだった。
正直怖いと思った。
いつから人は人を裁くようになったのだろう。
そしてそれが普通の社会になってしまったのだろう。
今の子供たちがいる社会。
それは私たち大人が作った社会。
まとめ
この記事を終わらせるために「まとめ」としたが、正直何もまとまらない。
だってここまで書いてもまだなお、着地点が見つからない。
それほど『許された子どもたち』はすごい映画だった。
今回は思いつくまま書いてみた。
じゃないと今日は眠れそうにないから。