映画『桐島、部活やめるってよ』 前田君の映画愛が描く生きる意味


なんとなく毎日を過ごしている高校生。ただし映画部の前田君だけは好きなことに没頭していました。映画監督を目指しているわけでもないのに映画を取り続ける前田君。彼の高校生活こそが、宏樹が悩む毎日に光を照らしてくれたのです。ここでは前田君が愛する映画を通して彼の考える生きる意味を見ていきたいと思います。

『桐島、部活やめるってよ』作品情報


桐島、部活やめるってよ

タイトル 桐島、部活やめるってよ
監督 吉田大八
公開 2012年8月11日
製作国 日本
時間 1時間43分

あらすじ

金曜日の放課後。

バレー部ではキャプテンを務め、成績も優秀な学園の“スター”桐島が、突然退部したらしいとの噂が校内を駆け巡る。

学内ヒエラルキーの頂点に君臨する桐島を巡って、バレー部の部員はもちろん、同じように“上”に属する生徒たち――いつもバスケをしながら親友である桐島の帰りを待つ菊池宏樹たち帰宅部のイケメン・グループ、桐島の恋人で校内一の美人・梨沙率いる美女グループ――にも動揺が拡がる。

さらにその影響は、菊池への秘めたる想いに苦しむ吹奏楽部の沢島亜矢や、コンクールのための作品製作に奮闘する映画部の前田涼也ら、桐島とは無縁だった“下”の生徒たちにも及んでいくのだが…。

(出典:https://www.allcinema.net/cinema/342041)

映画部の前田君

映画部部長の前田君。
愛読書が「映画秘宝」というだけあってゾンビ映画などが大好きで、顧問の先生に反対されながらも「生徒会・オブ・ザ・デッド」を撮影を始めてしまいました。


別冊映画秘宝 決定版ゾンビ究極読本 (洋泉社MOOK 別冊映画秘宝)

顧問の先生が「受験とか恋愛とか友人関係」などの高校生のリアルを作品にしなさいというと前田君は「先生はジョージ・A・ロメロを知ってますか?」と質問します。

ジョージ・A・ロメロとは前田君もいうようにソンビ映画の巨匠と言われている監督です。
ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』でゾンビ映画を世の中に認めさせた監督なのです。


ナイト・オブ・ザ・リビングデッド [Blu-ray]

前田君が力説するように、多くのゾンビ映画のゾンビのイメージはジョージ・A・ロメロの作ったゾンビが元になっています。

ここで前田君はゾンビ映画の説明をしたかったのではなく、ジョージ・A・ロメロはゾンビを人間のリアリティと結びつけて作品を作っていました。
前田君はそれを先生に伝えたかったのです。
ゾンビはリアルではないと言われたけど、ゾンビ映画で高校生のリアルを描こうとしていたのです。

そんなゾンビ映画を作ろうとしていた前田君は日曜日『鉄男』という映画を見ていました。


鉄男 ニューHDマスター [Blu-ray]

体が金属になっていく男の戦いを描いた『鉄男』。
この作品を前田君が見ていることで彼がどんな映画が好きかが分か理、また彼が「生徒会・オブ・ザ・デッド」をどんな意味を込めて作ろうとしているかを感じることができました。

もう1人この映画を見ていたかすみ。
この映画を選び「面白かったね」と感想を述べていたことから、彼女の心の中も見ることができます。
梨紗や沙奈とは違う種類の人間なんだということを感じるシーンでもありました。

映画が大好きで映画部に入り映画監督として自主映画を製作している前田君。
きっと将来は映画監督になりたいのかなと思っていましたが、「映画監督は無理」と宏樹に言います。

それでも映画を取り続ける前田君。
それは彼がこの世界に生きている意味でもあったのです。

映画と生きる意味

なんでもこんなせる宏樹は「出来るやつは出来るし、出来ないやつは何にも出来ない」という考えを持っていました。
出来る側の人種であった宏樹でしたが、今では野球部も辞めて毎日ダラダラ過ごしていました。

そこに親友だった桐島が突然バレー部をやめたことで動揺してしまいます。

なんでも出来る人間だけど、自分自身に生きがいを感じた日々を送れていないのが宏樹でした。
そしてそれは桐島もそうだったのかもしれません。

そんななんとなく生きている宏樹に、生きることの意味を教えたのが前田君でした。

前田君は「映画監督は無理」とあっさり答えます。
彼が映画監督になれないのに映画を取り続けているのは、「好きな映画と撮影している映画が一瞬つながることがあるから」と言います。

その「一瞬」が前田君にとって映画を取り続ける理由であり、生きる意味だったのです。
前田君の「生徒会・オブ・ザ・デッド」のなかには「戦おう、俺たちはこの世界で生きていかなければならないのだから」というセリフがあります。

それは「どんなに虚無な毎日であっても、この世界で生きていくしか自分たちにはない。だから自分のために生きよう」ということなのです。

前田君たちがオタクでいじめられていても、宏樹に振り向いてもらえない吹奏楽部の沢島も、桐島を失ったバレー部員達もみんなそれでも戦いながら自分の居場所で生きていくしかないのです。
そしてその場所でこそ生きている喜びを感じることができるのです。

だから前田君は一瞬でも繋がれることに幸せを感じ、その一瞬を探しながら映画を取り続け生きる意味を感じていたのです。

失恋した沢嶋は演奏が終わったとに、笑顔になります。
失恋し無我夢中で演奏に没頭した時、きっと大好きな音楽と繋がれたのでしょう。
そして生きる幸せを感じたから笑顔になったのです。

前田君の答えに生きる意味を教えてもらった宏樹。
彼はきっとこれから人生の意味を感じることができる一瞬を探すはずです。
宏樹にとってはそれが野球なのかもしれません。

最後に流れる主題歌の『陽はまた昇る』の歌詞もまた、どんな人間であってもみんな同じ空の下を生きていて必ず陽は昇る、という生きる意味の歌になっていました。

まとめ

映画好きの前田君が私たちに教えてくれた生きる意味。
それは「今」という瞬間を生きていることでした。

そして「今」と「自分自身」がつながる瞬間。
その時に感じる幸せが生きていることなんだと教えてくれました。

前田君にとっては大好きな映画で、生きている意味を知ることができるのです。

時代に流されてしまいがちな毎日に、バカにされてもカッコ悪くても自分の今を生きることの強さを映画部の前田君を通して見ることができました。

「生きること」に才能なんて関係ないのです。


桐島、部活やめるってよ (集英社文庫)