NHK『偉人たちの健康診断』「睡眠を操る英雄ナポレオン」あらすじと内容

フランスの皇帝ナポレオン。自由と平等を掲げフランスを独立を守った人物で英雄でしたが、皇帝となってからは権力を手にしたことで変わってしまいました。今回はそんなフランスの英雄ナポレオンを健康診断します。

目次

「睡眠を操る英雄ナポレオン」

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ナポレオンはなぜ英雄になることができたのか?

現地調査で「英雄誕生の秘密」を探る。判明したのは「ナポレオン式睡眠法」の驚くべき効果!そして晩年、英雄から転落した原因は「早食い」にあった可能性も浮上!

さらに、これまで「胃がん」とされてきたナポレオンの死因だが、残された解剖記録を現代医学の目で徹底検証。

実は私たちにとっても人ごとではない「薬の飲み合わせ」が命を奪った可能性が明らかになった。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-10-10/10/8903/1800065/)

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ナポレオン・ボナパルト

1969年コルシカ島で生まれたナポレオン。
フランス領ではありましたが、イタリアに近い島で田舎町が多い島でした。

イタリアに近かったことで、この島の言葉はイタリア訛りのフランス語が使われていました。

田舎で貧しいながらも貴族の家に生まれたナポレオンは、9歳でフランス本土に渡り陸軍学校に入学します。
しかし田舎の島からやって来たナポレオンは、ここでいじめにあってしまいます。
特にきちんとしたフランス語が話せないナポレオンの言葉は、バカにされていじめのターゲットになってしまったのでした。

負けず嫌いでもあったナポレオンは、ありとあらゆる本を読み豊富な知識を身につけました。
この知識がナポレオンの独自のアイデアを生み出し、将来の英雄につながることになったのでした。

ひらめきは仮眠から

王政が崩壊するフランスで、自由と平等を抱え国内の暴動を鎮圧したナポレオン。
さらにフランスに攻めてくる外国軍に勝利し、一躍英雄となります。

連戦連勝だったナポレオンの戦い、それは彼の独自にアイデアにありました。
そのアイデアは幼少期に身につけた豊富な知識だったのですが、さらにもう1つかれ独自の習慣から斬新なアイデアが生まれていました。

ナポレオンは午後にはいつも仮眠をとっていました。
30分くらい横になっていたようです。
この仮眠がアイデアに結びついていたのです。

脳を使うと睡眠物質が溜まるので、午後に眠くなるのは自然の原理なのです。
このときに眠ると睡眠物質は解消され、脳はクリアになります。
さらに眠っている間に、脳の記憶は整理され必要ない記憶は消されてしまいます。
そして新しい記憶が保存されるときに、古い記憶と結びついて記憶されるのです。
この結びつきが斬新なアイデアを生むことにあるのです。

仮眠をとっていたナポレオンは、眠ることで知らないうちにたくさんのひらめきを作っていたのでした。

取り憑かれてしまった権力

フランスの英雄となったナポレオンは34歳のときに皇帝になります。
すると絶対的な権力を手に入れたナポレオンは次第に変わってしまいます。
彼は権力を誇示するようになってしまったのでした。

そしてヨーロッパ全土統一に向けて戦いに出ますが、ここから負けが続いてしまいます。
1812年のロシア遠征では大敗を喫してしまったのでした。

権力に取り憑かれてしまったナポレオンですが、彼は早食いというくせを持っていました。
8分間で食事を終わらせたと言われているぐらいです。
この早食いはナポレオンを太らせてしまいます。
しかも早食いによって咀嚼しなくなると、脳の低下を招きこれが記憶力低下にも繋がってしまいます。

もしかするとその記憶力の低下が、戦いの負けに繋がっていたのかもしれません。

幽閉生活

わずか10年間の皇帝生活だったナポレオンですが、復活をかけてワーテルローの戦いに挑みます。
しかしこの戦いも惨敗に終わってしまったのでした。

その結果イギリス軍によってセントヘレナ島に幽閉されてしまいました。
幽閉と聞くと苦しい生活を想像しますが、ナポレオンの生活は違いまし。
大きなお屋敷で過ごしていました。

もしかすると幼い頃以来の安らぎを感じていたのかもしれません。
しかしそんな安らぎも長くは続きませんでした。

幽閉生活3年後にナポレオンは病に倒れてしまいました。
そして1821年に胃がんで亡くなってしまいます。

しかし新たな証拠を元に、紐解くとナポレオンの直接的な死因は他のことが考えられたのでした。

それは薬の飲み合わせでした。
当時は病気になると体内にある悪いものを出そうという考えから、嘔吐剤が処方されていました。
ナポレオンも嘔吐剤を常用していました。

そのナポレオンに新たに処方されたのが下剤でした。
嘔吐剤と下剤の服用により、低カリウム血症になったナポレオンは心不全を起こしたと考えられるのです。

もしかすると薬の飲み合わせによる副作用で、ナポレオンは亡くなってしまったのかもしれません。

 

自由と平等を抱えながら、権力を手にした途端変わってしまったナポレオン。
幼少期の貧しさやいじめが、彼の権力への固執を生み出していたのかもしれません。

それでも自由と平等を望んだナポレオンのナポレオン法典は、今の我々の自由に繋がっています。
世界中の自由と平等の元を築いたのは、ナポレオンなのかもしれません。

 

 

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