ソフィア・コッポラ監督の『マリー・アントワネット』。公開されると否定的な意見も多く評価として厳しい作品ではありましたが、幼くしてフランスに渡ったマリー・アントワネットの孤独と意地をソフィア・コッポラ監督の世界で描いている作品です。
『マリー・アントワネット』作品情報
タイトル | マリー・アントワネット(Marie-Antoinette) |
監督 | ソフィア・コッポラ |
公開 | 2007年1月20日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間3分 |
Rotten Tomatoes
『マリー・アントワネット』あらすじ
[aside type=”normal”]
14歳のオーストリア皇女アントワーヌは、母マリア・テレジアの意向によりフランス王太子のもとへと嫁ぐことに。
フランスへ渡り、王太子妃マリー・アントワネットとして、ヴェルサイユ宮殿での結婚生活に胸をふくらませるマリーだったが、その実態は朝から晩まで大勢のとりまきに監視され、悪意に満ちた陰口に傷つく日々だった。
さらに、15歳の夫ルイはまるで彼女に興味を示さず、世継ぎを求める声がプレッシャーとなってマリーにのしかかる。
そんな孤独や不安を紛らわそうと、おしゃれや遊びに夢中になり贅沢三昧を繰り返すマリーだったが…。
(出典:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=325318)
[/aside]
孤独なマリー・アントワネット
14歳でオーストリアからフランスへ嫁いだマリー・アントワネット。
彼女の結婚はオーストリアとフランスの同盟でした。
たった1人でフランスで生活することになるマリー・アントワネット。
国境を越える時に「故国を捨てて」と言われてしまいます。
14歳の少女にとってその言葉は、計り知れない恐怖を与えてことでしょう。
見知らぬ国フランスヴェルサイユ宮殿での暮らしは、マリー・アントワネットにとって全く自由のないものでした。
朝から寝るまで見張られている生活。
食事ですら自由はありません。
そんな息苦しい生活を送っておいたマリー・アントワネットでした。
さらにそんな彼女に追い打ちをかけたのが、子供ができないことでした。
子供ができないことの前に、夫が自分に興味を示さないのです。
そのことがまた周囲の余計な陰口を作ってしまいます。
しかもオーストリアにいる母親からも子供を作れというプレッシャーの手紙は届きます。
どこにもマリー・アントワネットの見方はおらず、孤独とプレッシャーによって幼い少女は壊れそうになっていました。
そして決定的なことが起こってしまいます。
ルイ16世の弟に子供ができてしまったのでした。
このことがマリー・アントワネットをついに壊してしまいます。
この頃からマリー・アントワネットの浪費ぐせはますます激しくなっていったのでした。
現代マリー・アントワネットの行動や振る舞いは、否定的な意見もあります。
フランス国民が貧しさで飢えている時に、ヴェルサイユ宮殿の中で豊かに暮らしていた彼女。
そのことが非難を浴びています。
確かにそれがフランス革命にもつながる原因ですし、この時代にフランス国民は貧しい生活を送っていたので非難されても仕方ないのかもしれないのですが、それは彼女の孤独の裏返しだったのかもしれません。
プレッシャーと孤独に押しつぶされそうになった彼女は、お酒やパーティーに走りその寂しさを埋めていたのかもしれません。
ソフィア・コッポラ監督の世界観
18世紀中頃のフランスの世界を描いた『マリー・アントワネット』。
そのほとんどはヴェルサイユ宮殿の中を描き、それ以外でも王室の世界しか描きません。
この時代の王室の豊かで異質な空間を最初から最後まで続きます。
フランス国民を切り離した王室だけを描いた世界なのです。
それがまた映画の表現として批判を浴びてしまいましたが、王室の異質な空気をソフィア・コッポラ監督の世界観で作り上げました。
カラフルでおしゃれな空間。
女性であれば一度は憧れる世界です。
さらに音楽を現代の音楽を使うことで、昔のような雰囲気を出しません。
まるで現代なのではと思わせる空間に仕上がっています。
カラフルな色使いとポップな音楽。
それが自由奔放に生きたマリー・アントワネットに重なっていました。
まとめ
マリー・アントワネットは彼女の人生を見ると、賛否両論があるかもしれません。
しかしたった14歳の少女が異国にいって味わった孤独は、計り知れないものだったのかもしれません。
自由に生きたかのでしたが、最後までルイ16世のもとを去ろうとしませんでした。
それは王妃としてのプライドだったのかもしれません。
波乱万丈な人生を送ったマリー・アントワネット。
彼女の人生の一部を垣間見ることができる映画が『マリー・アントワネット』です。