1970年代後半平和だったアフガニスタンに突如訪れたソ連軍の侵攻。
それは2人の少年の運命を大きく変えることになってしまい、2人を引き裂くことにもなってしまいました。
映画『君のためなら千回でも』では、幼い2人の少年を引き裂いてしまった1978年以降のフガニスタンの様子が描かれています。
映画『君のためなら千回でも』作品情報
タイトル | 君のためなら千回でも(The Kite Runner) |
監督 | マーク・フォースター |
公開 | 2008年2月9日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間8分 |
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1970年代後半のアフガニスタン
映画『君のためなら千回でも』の主人公アミールが育ったアフガニスタンの首都カブール。
1978年のカブールでアミールは平和に暮らしていました。
学校では「飲酒は罪だ」とイスラム教の教えを受けていましたが、アミールの父親は家で普通にお酒を飲んでいました。
またアミールは召使いのハッサンを連れて映画『荒野の七人』を見にいきます。
スティーブ・マックイーンが大好きなアミールの会話から、彼らが映画『ブリット』を見ていたことも分ります。
父親もアミールに『エル・シド』を見に行こうと誘っていたことからも、この時代アフガニスタンの人たちは普通に映画を見ることができていました。
アミールはパシュート人で召使いのハッサンはハザラ人です。
パシュート人がスンニ派でハザラ人はシーア派であることから、過去にはパシュート人のハザラ人への弾圧などがあり確かにハザラ人は差別を受けていましたが、それでもまだ平和に彼らは暮らすことはできていました。
しかしそれが1978年4月起こった4月革命によって変わり始めます。
共産主義者達によって起こったクーデーターにより、アフガニスタンはアフガニスタン人民民主党によるアフガニスタン民主共和国を設立しました。
そしてこの時からアフガニスタンの平和は奪われてしまったのです。
ソ連のアフガニスタン侵攻
4月革命によって共産主義国となったアフガニスタンに、1979年の12月ソ連軍が侵攻してきました。
アフガニスタンでは政府軍と反政府軍による内戦が起こり、政府軍を支援するためにソ連軍がやってきたのです。
1980年にはソ連軍は約13万人にも及ぶ兵士をアフガニスタンに駐在させ、アフガニスタンの主要都市はソ連軍によって占拠されてしまいました。
身の危険を感じたアフガニスタン人の多くが、隣国パキスタンに逃げました。
『君のためなら千回でも』の中ではアミールと彼の父親は、お金を払ってパキスタンに逃げていました。
ソ連軍はアフガニスタンに対して容赦ない攻撃を行います。
反政府軍であるムジャヒディンはソ連軍と激しい戦いを繰り広げますが、たくさんのアフガニスタン人が犠牲となってしまいました。
その後、アメリカからの武器の輸送などによりムジャヒディンはソ連軍に打ち勝ちます。
そして1989年2月、ようやくソ連軍はアフガニスタンから撤退しましたが、10年に渡ってアフガニスタンではソ連軍との戦争が行われていたのでした。
しかしソ連軍が撤退してもアフガニスタンに平和は戻ることはありませんでした。
今度はタリバンが台頭しアフガニスタンを支配していったのです。
タリバンによる支配
1989年ソ連軍がアフガニスタンから撤退すると、アメリカから武器を得たムジャヒディンの中で権力争いが起き始めます。
派閥同士の争いでアフガニスタンの都市は瓦礫が溢れかえっていました。
アフガニスタンの人たちはそんな一日一日をなんとか生き延びる毎日でしたが、1996年そこにタリバンが現れました。
ムジャヒディンの内戦を終わらせたタリバンは最初はアフガニスタンの人たちから歓迎されていました。
しかしその後彼らはイスラム教にのとって厳しい法律を課せ始めます。
それはアフガニスタンの風物詩でもあった凧上げさえも奪ってしまう法律でした。
さらに、パシュート人でスンニ派であるタリバンは、少数派のシーア派特にハザラ人に対して激しい迫害を行ったのです。
『君のためなら千回でも』ハッサンはその犠牲となった一人だったのです。
まとめ
映画『君のためなら千回でも』の中で描かれるアフガニスタン。
政治に翻弄されてしまった主人公アミールの目を通してアフガニスタンの変化を見ることができると同時に、いつも犠牲になるのは幼い子供だという厳しい現実に直面させられます。
今もなお混乱しているアフガニスタン情勢ですが、変わりゆくアフガニスタンを描いているのが映画『君のためなら千回でも』です。