映画『ルワンダの涙』生き残った人たちが語ったジェノサイド

ルワンダの涙

1994年4月ルワンダで起こったジェノサイド(集団虐殺)。フツ族はツチ族を根絶させようと次々とツチ族の人たちをナタで切りつけていきました。その惨劇の中で逃げ隠れ生き延びた人たち。映画『ルワンダの涙』は生き残った人たちによって作られた物語です。

目次

映画『ルワンダの涙』


ルワンダの涙 [DVD]

タイトル ルワンダの涙(Shooting Dogs)
監督 マイケル・ケイトン=ジョーンズ
公開 2007年1月27日
製作国 イギリス/ドイツ
時間 1時間55分

あらすじ

(引用:MIHOシネマ

1994年4月6日

映画『ルワンダの涙』の冒頭で説明されるツチ族とフツ族の戦い。

長い歴史の中でお互いの民族は憎いあうようになってしまいました。

ルワンダがベルギーから独立してフツ族が政権を握ったとき、過激派の人たちはツチ族を根絶しようと考えるようになり、フツ族とツチ族の戦いが起こります。

そんな中、ジュベナール・ハビャリマナ大統領は反政府軍であるツチ族のRPFと和平協定を結び、かたち上フツ族とツチ族は戦争を集結させたのです。

国連は安全に政権が進ように、平和維持軍をルワンダ送ります。

しかし、フツ族の過激派はツチ族の根絶させる計画を練りつつづけていました。

そして1994年4月6日。
大統領の乗った飛行機が撃墜される事件が起こります。

これを政府はツチ族が犯人だとし、ツチ族へのジェノサイドが始まったのです。

あっという間にツチ族の人たちは殺されていき、1994年7月にジェノサイドが集結するまでの間に80万人のツチ族の人が殺されたと言われています。

 

Shooting Dogs

映画『ルワンダの涙』の原題は『Shooting Dogs』。

このタイトルに関係する描写が、映画の中でも描かれています。

国連平和維持軍の兵士が、神父に「衛生的に問題だから犬を殺す」と伝えます。

神父は自衛のためだけに武器を持っている兵士に対して、苛立ちをぶつけ怒鳴ったところでこのシーンは終わっています。

その後、犬の出来事は映画の中では語れれていませんが、このとき、本当にたくさんの犬が道路に転がる死体を食べていました。

そして衛生上平和維持軍は犬を銃殺していきます。

また、この後ジェノサイドを終わらせるためにルワンダ国内に入ってきたRPFの兵士たちも死体を食べる犬を銃で撃ちました。

神父が平和維持軍の兵士に憤りを感じたように、ルワンダ人達は平和維持軍の人たちは銃の使い方を知らないのかと疑問に感じていたようです。

なぜなら、平和維持軍の人たちは襲われるルワンダ国民を守るために銃を使わなかったからです。

そんな彼らが銃を使ったのは、ツチ族を守るためではなく衛生的な問題のためでした。

(参考資料)

ジェノサイドの丘〈新装版〉―ルワンダ虐殺の隠された真実

「ジェノサイド」という言葉

映画『ルワンダの涙』を見ていると

[box class=”blue_box” title=””]・なぜ、平和維持軍は何もできなかったのか?
・なぜ、フランス軍は白人だけを救出したのか?
・なぜ、連合軍は軍を送って介入しなかったのか?[/box]

そんな疑問が浮かんできます。

映画の中で説明があるように、平和維持軍は自衛以外で武器を使うことを許可されていませんでした。

そして彼らはあくまで「平和を監視する」のが任務で、民兵達の行動に介入することができませんでした。

彼らあは目の前でジェノサイドが起きていると分かっていながらも、何もできなかったのです。

ではなぜ?

それは「ジェノサイド」という言葉になりました。

映画『ルワンダの涙』の最後に実際の映像で、アメリカの報道官が記者から「ジェノサイド」の定義について質問されている様子が映ります。

質問される報道官は明らかに、「ジェノサイド」という言葉を使いたくないように見えます。

実際アメリカ政府はこの時点で「ジェノサイド」という言葉を使用しませんでした。

なぜなら「ジェノサイド」が起きていれば、ジェノサイド条約によって加盟国はルワンダに介入しなければいけなかったからです。

しかし、ルワンダに介入したくない理由がありました。

映画『ルワンダの涙』の中で、平和維持軍の兵士が神父に「ソマリアでは米国人18名が死に軍は撤退した」と話すシーンがあります。

これがアメリカがルワンダに介入したくない理由でした。

ルワンダでジェノサイドが起きるわずか数ヶ月前、アメリカ軍を中心とする多国籍軍はソマリアの内戦に介入していましたが、戦闘で18名の米軍兵士が亡くなり、また多くの兵士が負傷しました。

この出来事で多国籍軍はソマリアから撤退します。

アメリカ政府は同じことをルワンダで起こしたくなく、ルワンダに介入することに躊躇してたいので、「ジェノサイド」という言葉を使用したくなかったのです。

しかし国際社会が「ジェノサイド」かどうかということで議論をしている間にも、ルワンダでは多くの人が殺され続けていたのです。

ソマリアでの米軍の戦いを描いた映画『ブラックホーク・ダウン』はこちら>>>

まとめ

1994年4月ルワンダ国内で起きたことを描いた映画『ルワンダの涙』。

当時ルワンダ国内で何が起きていたのかを知ることができる作品です。

そしてそれと同時に国際社会が何をしていたのか、ということも浮き彫りにされます。

ジェノサイドという悲惨な出来事を生き残った人たちが作った作品だからこそ、この映画に彼らの悲痛な思い、そして社会へのメッセージが込められているのです。

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