1964年2月25日、マイアミで行われたボクシングのヘビー級タイトルマッチ。のちにモハメド・アリと名乗る青年はヘビー級王者となりました。その夜、チャンピョン誕生を祝うホテルには、マルコムXとサム・クックとジム・ブラウンが集まりカシアス・クレイも交え4人で熱い討論を交わすしたのです。
『あの夜、マイアミで』作品情報
タイトル | あの夜、マイアミで(One Night in Miami) |
監督 | レジーナ・キング |
公開 | 2021年1月15日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 1時間54分 |
ホテルに集まった4人の男
マルコムX
黒人解放運動の指導者マルコムX。
公民権運動の指導者の1人である彼は、黒人達の先頭に立って人種差別を批判する声を上げていました。
彼の活動は攻撃的なスタイルもであり、それは時に反感を招いてしまうこともあります。
白人を罵倒するような声を上げていた彼の活動は、当時同じように公民権運動の指導者であったキング牧師とは全く逆の活動でした。
マルコムXは敬虔なイスラム教徒で、ネイション・オブ・イスラムの一員でした。
ネイション・オブ・イスラムはアフリカ系アメリカ人のイスラム教徒の組織ですが、かなり過激な組織でもありました。
『あの夜、マイアミで』での中でも描かれているように、白人と分離した黒人だけの社会を作ろうと考え、白人を悪と宣言し白人の滅亡を望むような組織でした。
ネイション・オブ・イスラムのリーダーのムハンマドの傲慢な態度や、貧しい黒人を無視して優雅な生活を送る彼のスタイルに違和感を感じたマルコムは、1964年3月8日にネイション・オブ・イスラムを脱退します。
しかし彼はイスラム教徒であることをやめたわけではありません。
その後すぐにムスリム・モスク・インク というイスラム教の団体を立ち上げています。
ただし彼の脱退はネイション・オブ・イスラムのメンバーを怒らせてしまい、1965年2月21日ネイション・オブ・イスラムのメンバーによってマルコムXは殺されてしまいました。
モハメド・アリ
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」という彼のファイティングスタイルを表す言葉は有名ですが、彼が世界ヘビー級王者になったのは1964年2月25日でした。
その頃彼は本名であるカシアス・クレイを名乗っていて、相手を挑発するファイティングスタイルでした。
その矛先はボクシングの対戦相手だけでなく、対戦相手を応援するファンやマスコミにも向けられます。
『あの夜、マイアミで』の中でもマルコムに「大口を叩くのは控えた方がいい」と言われているように、当時のアリにはアンチも多かったようです。
王者となった後カシアス・クレイは、ネイション・オブ・イスラムに入信しモハメド・アリと名前を変えました。
マルコムXの勧めでイスラム教徒になったモハメド・アリでしたが、結局マルコムがネイション・オブ・イスラムを脱退しこたこで、2人の関係は疎遠になってしまいました。
サム・クック
「ミスター・ソウル」と呼ばれるソウルシンガーのサム・クック。
『あの夜、マイアミで』の中でも歌われる「You Send Me」のヒットにより、人気R&Bシンガーとなっていきます。
黒人文化の中から生まれた「ソウル」や「R&B」などは、すぐに白人に模倣され奪われてしまうという時代が続いていました。
そこで名声を手に入れたサム・クックは自分の会社を作り、自分の曲や黒人の曲の著作権を守りました。
白人にカバーされてもその印税が黒人歌手に入ることで、彼らの生活が守られるようにしたのです。
映画の中ではマルコムXに白人に迎合していると責められたサム・クックですが、彼は1964年12月22日に「A Change Is Gonna Come」をリリースします。
(ちなみにサム・クックは1964年12月11日に亡くなっています。)
公民権運動を代表する曲と言われる白人のボブ・ディランが歌った「Blowin’ In the Wind」に影響を受けたと言われる「A Change Is Gonna Come」。
サム・クックが作った「A Change Is Gonna Come」は、「Blowin’ In the Wind」と同じように公民権運動を支える歌となりました。
ジム・ブラウン
クリーブランド・ブラウンズに所属していたNFLの選手のジム・ブラウン。
ランニングバックとして活躍した彼は、新人ですぐに1試合のラッシング記録を作るなど、脚で観客を沸かせた選手でした。
映画の中でも語られているように1963年には1シーズンで1863ヤード走るという記録を打ち立てていますが、それ以外にも数々の記録を塗り替えるほど有能で注目されている選手でした。
そんなジムは現役中に映画に出演します。
『あの夜、マイアミで』の中で彼がモハメド・アリに話している西部劇とは『リオ・コンチョス』のことでした。
ジム・ブラウンは1967年29歳の時に現役を引退しますが、引退発表をした時彼は『特攻大作戦』の撮影中でした。
『あの夜、マイアミで』に描かれているラストのジム・ブラウンの記者会見は、『特攻大作戦』の撮影の合間に行われたものでした。
NFLで偉大な記録をたくさん作ったジム・ブラウンは引退後は俳優に転向し、たくさんの作品に出演しています。
まとめ
1964年2月25日マイアミのホテルに、マルコムX サム・クック カシアス・クレイ ジム・ブラウン が集まったのは事実です。
4人の会話はフィクションですが、映画『あの夜、マイアミで』の中ではそれぞれが自分の熱い思いを語っていました。
彼らは自分のポジションについて激論を交わすことになりますが、それぞれが自分なりのスタイルで人種差別と戦っていました。
そんな4人の苦悩と葛藤そして友情を描いているのが、映画『あの夜、マイアミで』なのです。
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