1849年奴隷だった黒人女性ミンティは、南部に売られることを恐れメリーランド州の農場から逃亡しました。160kmの距離をたった1人で逃げた彼女が向かったのはペンシルベニア州のフィラデルフィア。その地でハリエット・タブマンと名前をかえ彼女はやっと自由を手にしまた。しかし故郷に残してきた家族を助けるために再びメリーランド州へ。やがて彼女は地下鉄道の一員となり多くの逃亡奴隷を助けたのです。
『ハリエット』作品情報
タイトル | ハリエット(Harriet) |
監督 | ケイシー・レモンズ |
公開 | 2020年6月5日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間5分 |
Rotten Tomatoes
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
ハリエット・タブマン
奴隷州だったメリーランド州。
そこで生まれたミンティは奴隷として生活を送っていました。
当時黒人には奴隷と自由黒人がいました。
自由黒人とは彼女の父親のように奴隷主に解放された黒人や、自由黒人の子供のことです。
彼らは自由黒人証明書を持って自分の身分を証明します。
それ以外の黒人は奴隷主に所有されている奴隷だったのです。
ミンティは奴隷主が亡くなり、南部に売られることになります。
夫と離れたくないミンティは農場から逃亡することを決めます。
しかし彼女の夫は自由黒人です。
一緒に逃亡して見つかってしまうと夫は奴隷となってしまいます。
そのためミンティはたった1人で逃げることを決めたのです。
彼女が向かったのはメリーランド州の北に位置する、ペンシルベニア州。
そこはすでに奴隷制度が廃止されている州でした。
北部の州では1787年にすでに奴隷制は廃止されていて、1808年にはアメリカ全土で奴隷貿易は禁止となっていました。
しかし南部では奴隷制度が残っていたのです。
フィラデルフィアについたミンティは、反奴隷制協会を訪れます。
そしてそこでハリエット・タブマンと自分の名前を登録し自由を手に入れたのでした。
地下鉄道
フィラデルフィアで新しい生活を送り始めたハリエットでしたがメリーランド州に残してきた夫や家族のことが忘れられません。
彼女は家族を助けたいとお願いしますが、逃亡奴隷に対して取り締まりが強化されつつある時期です。
そこでハリエットはたった1人で故郷に戻り家族や仲間をフィラデルフィアに連れ戻ったのです。
そしてやがて彼女自身も奴隷解放を手助けする組織「地下鉄道」に参加します。
彼らは南部にいる奴隷が北部に逃亡するのを助けていました。
「車掌」と呼ばれる役割についたハリエットは、地下鉄道のメンバーとしてたくさんの奴隷を助け出しました。
彼女は70人以上の奴隷を北部へ逃したと言われています。
一度も捕まることなく多くの逃亡奴隷を助けたハリエットは、映画の中でも描かれているように「モーゼ」と呼ばれていました。
しかし1850年に逃亡奴隷法が制定されます。
奴隷に逃亡された奴隷主達の怒りを抑えるために制定された法律。
これは逃亡した奴隷は奴隷主の元に返されるという法律です。
この法律により逃亡奴隷であるハリエット自身にも危険が迫ります。
彼女達逃亡奴隷は国境を越え奴隷を廃止しているカナダに逃げるしかなかったのです。
しかしハリエットは再び戻ってきます。
彼女は逃亡奴隷法成立の後も南部で苦しむ仲間を助けるために「地下鉄道」の一員として、たくさんの仲間を助けたのでした。
20ドル紙幣
多くの奴隷の逃亡を手助けしたハリエットは、1861年から始まった南北戦争では北軍のスパイとして活動しました。
また黒人の兵士を率いて戦い750人もの奴隷を解放しました。
その後も元奴隷を支援し、さらには女性参政権活動にも加わりました。
いつも居場所のない人達の味方であったハリエット・タブマン。
そんな彼女の功績が称えられ、アフリカ系アメリカ人として初めてアメリカ紙幣に肖像画採用されることになりました。
オバマ大統領の時代に決まり、2020年に20ドル紙幣に採用されるはずでした。
しかしトランプ大統領になり、新紙幣については話がストップしました。
財務省は2028年まで延期されると発表しました。
しかし2021年バイデン政権が誕生し、再びハリエット・タブマンが20ドル紙幣の肖像となる手続きが動き出したのです。
多くの黒人奴隷の解放を助けたハリエット・タブマン。
彼女は「みんなの居場所を用意するわ」と言ってこの世を去りました。
最後まで多くの弱者のために戦い続けた女性なのです。
まとめ
黒人奴隷を助けるために、立ち上がった1人の女性ハリエット・タブマン。
彼女の人生を描いた『ハリエット』では、南北戦争前の南部と北部の黒人の生活の差が浮き彫りになります。
自ら逃亡し自由を手に入れたハリエット。
いつも諦めずに戦った彼女は、逃亡奴隷にとって希望の光でした。