映画『戦場のピアニスト』で描かれた第二次世界大戦時のワルシャワ

ドイツ軍によって占領されてしまったポーランド。ポーランドの首都であるワルシャワは必死でドイツに対して抵抗しますが、ドイツ軍によって占領されてしまいました。当時ワルシャワで暮らしていたピアニストのウワディスワフ・シュピルマン。彼が戦時下を生き延びる姿を描いた『戦場のピアニスト』を通して、当時のワルシャワの状況を見ていきたいと思います。

目次

『戦場のピアニスト』作品情報


戦場のピアニスト スペシャル・コレクション [Blu-ray]

タイトル 戦場のピアニスト(The Pianist)
監督 ロマン・ポランスキー
公開 2003年2月15日
製作国 フランス/ドイツ/イギリス/ポーランド
時間 2時間30分

Rotten Tomatoes

あらすじ

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1939年9月、ポーランド。ナチス・ドイツが侵攻したこの日、ウワディクことウワディスワフ・シュピルマンはワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。

街はドイツ軍に占拠され、ユダヤ人をゲットー(ユダヤ人居住区)へ強制移住させるなどの迫害が始まる。

シュピルマン家も住み慣れた家を追われる。

ゲットー内のカフェでピアノ弾きの職を得た彼は、様々な迫害に遭いながらも静かに時をやり過ごす。

しかし、やがて一家を含む大量のユダヤ人が収容所へと向かう列車に乗せられる。

その時、一人の男が列車に乗り込もうとしていたウワディクを引き留めた。

(出典:https://www.allcinema.net/cinema/239348)

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[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・監督賞
・主演男優賞:エイドリアン・ブロディ
・脚色賞 [/box]

ドイツ軍によるポーランド侵攻

ヒトラーによりドイツのヨーロッパ征服もしくは世界征服を目論んでいたドイツ。
ヴェルサイユ条約を無視して再軍備し、オーストリアやチェコスロバキアを侵略しました。

そのドイツが次にターゲットのしたのがポーランドです。
1939年9月1日ドイツ軍がポーランドに侵攻を始めました。

ドイツの動きに脅威を感じていたイギリスやフランスは、ドイツのポーランド侵攻をみた1939年9月3日ドイツ軍に宣戦布告します。
これが第二次世界大戦の始まりとなりました

『戦場のピアニスト』の中ではイギリスやフランスの宣戦布告を知ったシュピルマン一家は喜びますが、ドイツ軍はポーランド侵攻を進めます。
ポーランドの首都であるワルシャワはドイツ軍に対して抵抗を試みますが、結局ポーランドはドイツによって侵略されてしまいました。

『戦場のピアニスト』ではポーランドがドイツによって侵略されてしまった時から、物語は始まります。

ドイツ占領下のポーランド

ドイツ軍によって占領されてしまったポーランド。
当時のポーランドにはユダヤ人は50万〜60万人住んでいたと言われています。
彼らは映画の中で描かれるように、まずはユダヤ人居住区(ゲットー)に移されました

シュピルマン一家も向かったワルシャワ・ゲットーはゲットーの中でも最大規模のもので、40万人以上のユダヤ人がここに移されてきます。

この居住区での悲惨な暮らしは映画の中でも描かれていますが、食糧不足や不衛生な状況でした。
しかも当時チフスが流行していたこともあって、8万人ものユダヤ人がゲットーの中で亡くなってしまいました。

ゲットーで生き残った人たちも、その後強制収容所に送られてしまいます。

ワルシャワ・ゲットーからトレンブリンカの収容所にユダヤ人は送られることになりました。

シュピルマン一家もトレンブリンカに送られましたが、列車に乗る直前でウワディスワフだけは助け出されたのでした。

また占領されてしまったポーランド人も生活は一変します。
ポーランド兵達はドイツ軍の捕虜となってしまいます。
市民も強制労働を義務付けられました。

収容所に送られそうになったところを助けたもらったシュピルマンが、強制労働で働いていた場所にはポーランド人もいました。
ドイツに送られて強制労働を強いられる人たちもたくさんいて、ポーランド人もまたドイツによって苦しめられていたのでした。

ワルシャワ蜂起

ドイツ軍によって占領されてしまったポーランド。
ポーランド人に対しても拷問や虐殺などが行われる中、地下活動が起き始めます。

ワルシャワにはたくさんのドイツ軍が駐屯していたため、文字通りワルシャワの地下に潜伏したポーランド軍はドイツ軍に対して反乱を起こす機会を狙っていました

1944年8月1日、ポーランド軍は立ち上がりワルシャワ蜂起を起こしました。
この戦いにはポーランド軍だけでなく女性や子供達も加わり、ポーランド人総動員の戦いになりました。

この様子をウワディスワフは隠れ家から見ています。
男性だでなく女性達も戦いに参加していました。

ポーランド人全員で戦いましたが、ドイツ軍のワルシャワに対する攻撃は容赦ないものでした。
ドイツ軍はワルシャワを徹底的に攻撃し、街はほぼ壊滅状態になりました。

病院に隠れていたウワディスワフが病院から逃げたワルシャワの街は、建物の残骸しか残っていませんでした。

しかもドイツ軍はワルシャワに残っていた人たちにも容赦ない攻撃をします。
それはウワディスワフが病院内から見た残酷なシーンで描かれていました。

この攻撃によりワルシャワで生き残った人はほとんどいませんでした。

必死で隠れ続けたウワディスワフ。
ドイツ軍のヴィルム・ホーゼンフェルトの助けもありながら、彼は生き残りました。
ウワディスワフは自由を手にしたのは、1945年1月17日のワルシャワが解放された日でした。

まとめ

『戦場のピアニスト』ではドイツ軍によって侵攻されたポーランド・ワルシャワの様子が描かれていました。

ピアニストのウワディスワフ・シュピルマンの目を通して、当時何が起きていてユダヤ人がどんな目に遭っていたのか知ることができました。

またワルシャワがどれほどひどい攻撃を受けたのかも、最後のワルシャワの街並みを見れば分かります。

生き残るために必死だったピアニストのウワディスワフ・シュピルマン。
彼が語り継いでくれた歴史は絶対に忘れてはいけない出来事でした。

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