ドキュメンタリー『彼らは生きていた』で鮮明に蘇った第一次世界大戦の西部戦線

第一次世界大戦の西部戦線。悲惨な塹壕戦を記録した当時のフィルムを、現代の映像技術を使って鮮明に蘇らせたのが『彼らは生きていた』です。カラーにすることで悲惨さはよりリアルに伝わってきます。ここでは『彼らは生きていた』の中で見ることのできる第一次世界大戦の西部戦線について調べてみたいと思います。

目次

『彼らは生きていた』作品情報


ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド(字幕版)

タイトル 彼らは生きていた(They Shall Not Grow Old)
監督 ピーター・ジャクソン
公開 2020年1月25日
製作国 イギリス/ニュージーランド
時間 1時間39分

Rotten Tomatoes

あらすじ

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2200時間以上あるモノクロ、無音、経年劣化が激しく不鮮明だった100年前の記録映像にを修復・着色するなどし、BBCが保有していた退役軍人たちのインタビューなどから、音声や効果音も追加した。

過酷な戦場風景のほか、食事や休息などを取る日常の兵士たちの姿も写し出し、死と隣り合わせの戦場の中で生きた人々の人間性を浮かび上がらせていく。

(出典:https://eiga.com/movie/90735/)

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第一次世界大戦

1914年8月第一次世界大戦が勃発します。
これが初めての世界戦争でした。
ロシア、フランスがドイツに対し宣戦布告し、8月4日にイギリスも宣戦布告しました。

ドイツ軍はフランスへ侵攻するためにベルギーとルクセンブルグに攻め込み、フランスを目指します。
フランス軍を上回る兵力をもっていたドイツ軍は北フランスまで侵攻し、パリの近くまで攻め込んでいました。

しかしフランス側も反撃に出てドイツ軍のパリ信仰を食い止め、ドイツ軍は後退することになってしまいました。
短期決戦を考えていたドイツの作戦は失敗し、フランスとドイツの国境に両国が塹壕を掘り塹壕戦へとなっていき、その戦いは長期化していったのでした。

イギリスもまたドイツがドーバー海峡を渡って攻めてくることを想定し、フランスに兵士を送りました。

『彼らは生きていた』の始まりで、戦争が始まったときにイギリス国内で兵士を募る様子がわかります。
兵士に志願することが当たり前だったのが国内の雰囲気で、多くの若者が兵士に志願し訓練を受けることになったのです。
そして6週間の訓練を受けた後、フランスに渡り戦地へと向かったのでした。

塹壕戦

『彼らは生きていた』の中で兵士が言っているように多くの兵士たちがクリスマスまでに戦争は終わると思っていました。
しかし現実は長期化する一方でどんどん激しくなっていきます。

お互いの塹壕からの激しい攻撃により、塹壕と塹壕の間には誰も入ることができない「ノーマンズランド」と呼ばる地帯が出来上がります。
両軍ともが塹壕を超えて先に進むことができず、硬直状態が続いてのです。
これが塹壕戦が長期化した原因でもありました。

その間の塹壕の中での生活は映画の中で描かれている通り悲惨なものでした。
まともに寝る場所もなく、不衛生な塹壕で兵士たちは戦うしかなかったのです。

塹壕戦は1914年〜1918年もの間続きました。
両軍ともに多くの犠牲者をだす戦いとなってしまいました。

さらにこの戦いでは多くの新型兵器が使用されます。
『彼らは生きていた』の中の最後で「残虐化した兵器の進化を一般市民は知らない」という言葉がありましたが、毒ガスや戦車などの兵器が投入され悲惨な状況が生まれました。

映画の中にも登場しますが、イギリスはマーク I 戦車を開発しました。


TAKOM 1/35 第一次世界大戦 重戦車 マーク I メール w/スポンソン用クレーンとフラットトレーラー

塹壕と機関銃を突破するために開発された戦車で、初めて戦争で実用された戦車です。

またドイツ軍は毒ガスを使用しています。
『彼らは生きていた』の中でが当時の記録をカラーにすることで、より戦争の生々しさを私たちに伝えていました。

終戦

第一次世界大戦は1918年11月11日午前11時に終戦を迎えます。

アメリカも参加したことで、塹壕戦に動きが起きドイツ軍は追い詰められていきました。
さらにブルガリアやオーストリアが降伏したことで、ドイツはこれ以上の戦いは無理だと考え休戦協定を結びました。

これによりな長がった塹壕戦も終わりを迎えたのです。

1919年6月28日にはヴェルサイユ条約が締結され、ドイツは軍を解体しまた多額の賠償金を払うことになりました。
しかしこれがやがて次の戦争へつながることになってしまうのです。

『彼らは生きていた』の中では終戦でフランスからイギリスへ戻った兵士たちの様子が描かれています。
彼らはやっと平和な生活に戻りましたが、戻った故郷には自分達の居場所はありませんでした。

平和で人間的な暮らしをしてきた市民と、塹壕で動物のように戦ってきた兵士たちには解り合えるものはなかったのです。

戦争によって心身ともに傷ついた兵士たちに安らぐ日はやってきたのでしょうか?
彼らは「無駄な戦いだった」と戦争を振り返っています。
戦争は悲惨なもので正当化できるものではない」とも言っています。

いつまた戦争が起こってもおかしくない現代。
彼らの負った傷を忘れないために、また多くの人が犠牲になったことを忘れないために、ピーター・ジャクソン監督は今この作品を作ったかもしれません。

まとめ

第一次世界大戦の塹壕戦の悲劇を現代に蘇らせた作品『彼らは生きていた』。

この映画の中で映し出されていたものは、すべて現実に起きていたことです。
鮮明になったことでその悲惨な状況がダイレクトに伝わってきます。

二度と同じことを起こしてはいけないはずなのに、忘れてしまっている過去があります。

それを思い起こすためにも『彼らは生きていた』を見て、塹壕戦の真実を知るべきだと思いました。

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