映画『アビエイター』でみるアメリカの飛行機の歴史

実業家のハワード・ヒューズ。彼は「すごい映画を作る」という夢と「1番速い飛行機に乗る」という夢を叶えます。ヒューズが叶えた夢のうち今回は彼が残した飛行機に関する偉業をみていきましょう。

目次

ハワード・ヒューズ

[voice icon=”https://movielife45.com/wp-content/uploads/2019/10/o0276042011380678431-e1571069366787.jpg” name=”YOKO” type=”l”]18歳で億万長者となったハワード・ヒューズとは一体どんな人だったのでしょうか?[/voice]

ヒューズの父親は掘削機の特許を取り、会社を作ります。
そしてその掘削機が彼の家を大金持ちにしました。
しかしヒューズが16歳の時に母を、18歳の時に父を亡くしてしまいます。

18歳のヒューズは両親から莫大な遺産を相続し、18歳にして億万長者になったのでした。
さらに父親の会社ヒューズ・ツール社も相続します。

お金持ちになった彼は自分の夢のためにお金を惜しみなく使います。
彼のお金のほとんどは映画と飛行機に注ぎ込まれました。

彼自身「本社が反対しても金は好き勝手に使う」と断言しています。
自分の好きなことをやるためには、いくらお金を使っても関係なかったのです。

ヒューズの作った飛行機

ヒューズ H-1

ヒューズが『地獄の天使』を製作中に、グレン・オデカークに注文し作った飛行機がH-1と呼ばれる飛行機です。

主翼に「NR258Y」と描かれた飛行機で、ヒューズは1935年9月13日に速度記録に挑戦します。
この飛行機で時速563kmを記録したヒューズは「地球最速の男」になりました。

さらにヒューズは4日間で世界一周を行うなど新記録を更新して、航空界のパイオニアと言われるようになっていきました。

ハーキュリーズ


プラッツ 1/200 TWA H-4 ハーキュリーズ プラモデル MC15005

第二次世界対戦中にドイツ軍のUボートによって、連合軍の船が次々と撃沈されていました。
それを知ったヒューズはジープや戦車を運ぶ飛行機を作ろうと考えます。

それはハーキュリーズでした。
世界最大の200トンの飛行機。
全長67m片翼だけで49mもある飛行機です。

この飛行機を空軍で使用してもらうために賄賂を渡したということになり、後にヒューズは公聴会に呼ばれることになってしまいます。
しかも飛行機が完成した時は、すでに戦争が終わっていて国のお金を無駄にしたということで、ヒューズの評判は落ちてしまいました。

結局ハーキュリーズが初めて飛んだのは1947年11月2日でした。

XF-11

ヒューズは世界最速にこだわり続け、XF-11スパイ偵察機を設計します。
最大速度時速720kmで、敵機は決して追いつけない飛行機でした。

1946年7月7日、ヒューズは自らこの飛行機に初試乗します。
しかしプロペラに不具合が起こり、墜落して大怪我をおってしまいました。

トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空

ヒューズは飛行機の設計だけでなく、TWA(トランス・コンチネンタル・アンド・ウェスタン航空)を買収します。

これが後にパンナム航空との戦いに発展していきました。

 


modelpower 1/300 L-1049G
スーパーコンステレーション TWA 完成品

TWAで最高巡航速度時速544km、航続距離4800kmの飛行機を開発します。
大陸をノンストップで横断できる飛行機です。
この飛行機は「コンステレーション」と名付けられました。

国際線を独占しようとしているパンナム航空とヒューズは戦うことになったのでした。

ヒューズは民間機にジェット機を導入することもいち早く考えていました。
TWAはジェット機の導入により、アメリカを代表する航空会社になっていきました。

ただし2001年にアメリカン航空に合併されたので、現在TWA航空は存在しません。

コミュニティー・エアライン法案

ヒューズがパンナム航空と戦うことになったのは、パンナム航空が作ろうとしていたコミュニティー・エアライン法案によるものでした。

国際線を導入したいパンナム航空。
オーエン・ブリュスター議員がコミュニティー・エアライン法を提出しました。
彼はパンナム航空と繋がっていた議員でした。

結局この法案は通らずブリュスター議員もパンナム航空との癒着が明るみに出て議員を辞職することになりました。

パンナム航空との戦いに勝利したヒューズは、トランス・ワールド航空と名前を変更し国際線に参入することになりました。

ちなみにパンナム航空は2008年に運航停止になり、TWA同様現在は存在しない航空会社です。

学びポイント

『アビエイター』を通してみるアメリカの飛行機の歴史。

ヒューズがこだわり続けたスピードについて知ることができます。

さらに航空会社を買収し、民間機に対しても熱い思いを持っていたことが分かりました。

1930年〜1940年代のヒューズの歴史が、アメリカの飛行機の歴史と繋がっているのです。

現在私たちが快適に空を飛べるのも、この頃のヒューズ達の飛行機に対する熱い想いがあったからとも言えるのです。

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