NHK『偉人たちの健康診断』三国志・曹操 頭が痛い!歯も痛い!

三国志の英雄の1人である曹操。多くの人が読んだことのある物語の「三国志」に登場する曹操は悪役のイメージがありますが、歴史書の「三国志」に基づくと曹操は戦術戦略に秀でた軍人で政治家だったようです。今回はそんな曹操を健康診断していきます。

目次

三国志・曹操 頭が痛い!歯も痛い!

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近年発見された三国志の英雄・曹操の墓。

出土した頭蓋骨と愛用の石の枕を現代医学の目で調べてみると、時に異常行動を引き起こす曹操の「ある病」の存在が浮かび上がってきた。

さらに、頭蓋骨に残された歯を手がかりに、これまで謎だった曹操の死因の解明に挑む。

判明したのは、私たちの誰もが体に宿している身近な病原菌が曹操の命を奪った可能性だ!

現代に伝わる曹操お抱えのスーパードクター華佗(かだ)の健康法も紹介。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-08-15/10/1771/1800048/)

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曹操

三国志の英雄の1人とされる曹操。
三国時代の魏の基礎を作った人物でもあります。

蜀の劉備や諸葛孔明、呉の孫権とともに英雄とされる曹操は「非常の人」呼ばれ、類稀なる才能の持ち主でした。

若い頃は無名だった曹操ですが、20歳の時に教養と素行を兼ね備えた若者を推薦する制度によって後漢王朝の役人となります。
洛陽北部地区の警察長官となった曹操は自分の存在感を高めるために、犯罪者に厳罰を科していました。

そんな曹操が名を広めたのが30歳の時に起きた黄巾の乱です。
曹操は近衛騎兵団となって乱の鎮圧に大活躍しました。
この活躍で曹操は済南国の相という地位を手に入れました。

黄巾の乱以降、後漢の衰退もあり群雄割拠の時代がおとずれます。
曹操は群雄の1人袁紹に戦いを挑みました。
これが官渡の戦いで曹操46歳の時でした。
軍の兵で圧倒的に劣っていた曹操軍でしたが、曹操の奇襲作戦により勝利をおさめました。

この戦いに勝ったことで、曹操は中国統一に向けて自信を深めていったのでした。

群発頭痛

曹操は群発頭痛に悩まされていました。
寝てる時に起こりやすく、目の奥に激痛をもたらすと言われる頭痛。
頭痛により興奮し落ち着きがなくなってしまいます。

現代では即効性のある鎮痛剤で痛みを抑えることができますが、曹操はこの頭痛を石枕を使って和らげていたようです。
首の付け根を圧迫し首を冷やすことで、痛みを抑えていました。

それ以外にも名医の華佗を呼び、鍼治療や漢方薬を使った薬膳料理などで治療をしていました。
しかし華佗が妻のいる家に戻ってしまうと、頭痛がまた始まります。
曹操は華佗を呼びますが、華佗は嘘をつき曹操の元にはきませんでした。
これに起こった曹操は華佗を処刑してしまいました。

華佗を失ってしまった曹操は、その後も頭痛に悩まされることになります。
54歳の時に起きた赤壁の戦い
孫権と劉備の同盟軍との戦いは中国統一に向けて天下分け目の戦いでした。

数的優位を誇っていた曹操でしたが、3つの判断ミスで大敗してしまいました。
もっとも兵法に優れた人物と言われていた曹操が犯したミス。
もしかすると激しい頭痛によって、思考能力を失っていたのかもしれません。

曹操の死因

66歳でこの世を去った曹操。
三国志にはその死因は記載されていませんでした。
謎とされていた曹操の死因ですが、2006年に発見された曹操の墓から死因が浮かび上がってきました。

お墓から見つかった曹操の上顎。
2本の歯が残っていました。
その2本の歯は大きな穴が空き、虫歯になっていました。
歯の抜けた後もあり曹操は、虫歯や歯周病に悩まされたいたと考えられます。

虫歯の原因菌であるミュータンス菌。
体内に入り血管を巡った場合は命を落とす可能性もあるのです。

免疫力が高ければ体内でミュータンス菌は減って行くのですが、免疫力が低下しているときんは増殖してしまいます。
60歳を過ぎても中国統一に向けて遠征を繰り返していた曹操。
加齢とストレスで免疫力が低下していたと考えられます。

もしかすると曹操は虫歯によって命を落とした可能性もあるのです。


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