初代家康、3代家光の間で影の薄い存在と言われる2代将軍徳川秀忠。関ヶ原の戦いで父家康に怒られたというダメ将軍のイメージのある秀忠。今回はそんな秀忠の健康診断を行っています。
ほめたらのびた“ダメ将軍”
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関ヶ原に遅刻するなど“ダメ将軍”ぶりが強調されがちな2代将軍・徳川秀忠。
なにをするにも家康の顔色をうかがっていた秀忠だったが、家康の死後、人が変わったように自信満々になり、強いリーダーシップを発揮するように!
その秘密は意外にも「ほめられる」ことにあった!?
さらに、晩年の秀忠を襲い、死に追いやった「謎の動くコブ」の正体に現代医学の見地から迫る。
(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-07-04/10/3088/1800058/)
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徳川秀忠
徳川家康の三男として浜松に生まれた秀忠は、幼い頃からおとなしく真面目な性格でした。
秀忠22歳の時、初陣を迎えます。
それは1600年 関ヶ原の戦いでした。
これは家康が天下を取った戦いでもあり徳川家にとって重要な戦いでした。
兵を率いて関ヶ原を目指していた秀忠でしたが、なんと関ヶ原の戦いに間に合わなかったのです。
このことが家康を激怒させてしまい、ダメな2代目という烙印を押されてしまったのでした。
家康は秀忠が世継ぎとなることに不安を感じていましたが、27歳の時将軍となります。
将軍となった後にあった戦いが1614年の大阪冬の陣です。
この戦いは豊臣家にとどめを刺す戦いでもありました。
関ヶ原の戦いで遅れてしまった秀忠は同じ失敗を繰り返さないために、急いで敵地に向かいます。
それは兵にとって強行手段でもありました。
そのため敵地に着いた時、兵士は疲れて戦える状況ではなかったと言われています。
これもまた家康を激怒させることになります。
家臣からも頼りない2代目と思われていた秀忠は将軍でしたが、実験を握っていたのは家康でした。
しかもその状況が11年もの間続いたのです。
家康の言う通りにする秀忠。
これが世間の秀忠のダメ将軍イメージを作り上げてしまったのです。
しかし秀忠38歳の時、家康が亡くなります。
すると秀忠は強力なリーダーシップを取るようになったのでした。
生まれ変わった秀忠
家康亡き後、強力なリーダシップを発揮した秀忠。
一体何が秀忠を変えたのでしょうか?
それはテストステロンという男性ホルモンの影響が考えられます。
テストステロンは自分に自信を与えることが出来、リーダーシップのホルモンともいわれています。
今まで家康の前で萎縮していた秀忠でしたが、家康亡き後名実ともに幕府のトップとなった秀忠は堂々としていなければならない立場になります。
胸を張り上座に座ることになった秀忠は、急激にテストステロンが増えたはずです。
さらに家康の重心を自分から遠ざけ、幼い頃からの家来を近くに配置します。
家来たちは秀忠を褒めちぎります。
このこともまた秀忠に自信を与えることになりました。
リーダーとして自信を持った秀忠は
[box class=”red_box” title=””]・徳川に逆らう可能性のあるものを排除
・御三家を設置
・朝廷や貴族の引き締め
・鎖国
・キリスト教の禁止[/box]
など江戸幕府の基礎を築き上げたのでした。
秀忠のストレス解消法
将軍となりながらも11年間も家康の支持を仰いでいた秀忠。
きっと家康へのストレスを感じていたはずです。
秀忠はどうやってそのストレスを解消していたのでしょうか?
秀忠は普段から鼓を打っていたという記録が残っています。
その鼓を打つことが秀忠のストレス発散となっていたようです。
現代、太鼓をたたくここはネガティブな感情を打ち消したりポジティブな感情を持つことに優れて行動だとされています。
太鼓をたたくと破壊衝動を満足させ、怒りが昇華されます。
また太鼓を叩いた時に出る振動が、前頭前野を活性化させやる気を生じます。
秀忠は普段から鼓を打つことで、偉大な父家康や自分を軽んじる家臣へのストレスを発散させていたのかもしれません。
晩年の秀忠
45歳で家光に譲り隠居生活を送ることになった秀忠。
53歳の時に胸の痛みを感じます。
腹部にコブができ、そのコブが動き回るというのです。
寄生虫と診断された秀忠は、薬とお灸が処方されます。
現代医学から考えると皮膚幼虫移行症だと考えられます。
コブが動くのは、寄生虫が皮膚の下を移動する状態です。
薬と灸のおかげで回復した秀忠でしたが、3ヶ月後に胸の痛みを感じ、さらには血を吐いてしまいました。
病に倒れた秀忠は半年の後1632年1月24日亡くなってしまいます。
秀忠に寄生していたのはマンソン孤虫の可能性があります。
犬や猫に寄生する寄生虫ですが、人間に寄生すると心臓や肺や脊髄に寄生します。
心臓に寄生すると心膜炎を起こし激しい胸の痛みを訴えることになります。
秀忠の症状を見るとこのマンソン孤虫症だった可能性があるのです。
死期を悟った秀忠は家光を枕元に呼び、政令の修正などお前が好きなように改正しなさいと家光にアドバイスを送ります。
家康や家光の影に隠れてしまった存在の秀忠ですが、実は江戸幕府の基礎を築いた偉大な将軍でもあったのです。