NHK『偉人たちの健康診断』“養生訓”のススメ 江戸の健康名人・貝原益軒

江戸時代に日本で最初の健康本が出版されました。それは貝原益軒の書いた「養生訓」です。幼い頃病弱だった益軒が学んだ知識を、健康のために夫婦二人で実践していた益軒夫婦。現代にもつながる健康法が書かれていました。

目次

“養生訓”のススメ 江戸の健康名人・貝原益軒

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江戸の儒学者・貝原益軒の記した「養生訓」。

「腹八分目」「酒はほどほどに」など今では常識となっている健康の知恵が詰まった健康本だ。

益軒が病弱だった妻を支えるため、あらゆる健康法を夫婦で実践し、その効果を検証したものだが、それらを現代科学の目で見てみると、カロリー制限が及ぼす「長寿遺伝子」への影響や、夫婦仲と心筋梗塞リスクの相関関係など、今の私たちにも役立つ健康のヒントが浮かび上がってくる。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-06-20/10/27033/1800003/)

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貝原益軒

江戸時代のベストセラーとなった「養生訓」の著者である貝原益軒。
彼は誰もが簡単に実戦できる健康法を、養生訓の中に書き記しています。

江戸時代に85歳まで生きた貝原益軒。
康について彼が考えるようになったのは、子供の頃病弱だったからでした。
「生まれつき体が弱くて、若死にするのではと考えた」と言う貝原益軒は、医者であった父の医学書を子供の頃に読み漁りました。

さらに長崎に出向きオランダ医学なども勉強した貝原益軒。
その知識が養生訓の中に活かされています。

39歳で貝原益軒は22歳年下の女性と結婚します。
幸せな結婚生活を送れると思っていた貝原益軒でしたが、妻は貝原益軒以上に病弱な体質でした。

貝原益軒は自分が勉強してきたことを夫婦二人で実践しようと考えました。
そして益軒夫婦は、健康のために体にいいと思われることを実践していきます。
その二人が実践したことが「養生訓」の中に書かれているのです。

養生訓


養生訓 (中公文庫)

「養生訓」が出版された江戸時代。
平和な世の中が続き、人々の暮らしも豊かになりつつありました。
この頃、人々の食事は2食から3食に変わっていきます。
それが時代の豊かさを表しています。

さらにグルメブームも起きて結果、江戸の街では脚気や高血圧が蔓延し始めていたのです。

そんな頃に貝原益軒の書いた「養生訓」は人々に注目されます。
それは初めての健康本だったからです。

誰でも簡単にできることが書かれているとことから話題となっていきます。
[box class=”green_box” title=””]・自分にあった適度な運動と休息をする
・腹八分目
・酒はほどほどに
・食事はあっさりした味付け[/box]

など実践しやすいのが「養生訓」の特徴でもあります。
それは貝原益軒自身が妻と一緒にやってきたことでもあったのです。

現代につながる健康法

「養生訓」の中に書かれていることは現代でも言われていることがほとんどです。

それ以外でも貝原益軒は妻と共通の趣味を持ち夫婦仲良く暮らしていました。
趣味の1つであった旅行。
貝原益軒は妻との旅行をを紀行文として形に残しています。

これもまた認知症予防に繋がっていたのかもしれません。
旅を思い出すことが脳の活性化に繋がったと考えられています。

江戸時代に85歳まで生きた貝原益軒。
妻は62歳まで生きています。
夫婦とにも長生きだった二人の健康の秘訣の1番は夫婦仲の良さだったのかもしれません。

妻が現代でいうガンを患い62歳で亡くなると、その8ヶ月後に貝原益軒は亡くなってしまいました。
このことからも貝原益軒がどれだけ妻を愛していたのかが分かります。
妻を失った悲しみで気力を失い、貝原益軒も病に倒れてしまいました。

貝原益軒と妻。
病弱だった二人が長生きできたのは、互いを思いあっていたことが1番なのかもしれません。

 

 

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