NHK『偉人たちの健康診断』源義経 バランス感覚は身を助ける

美少年と呼ばれた源義経。軽やかな身のこなしで戦さの天才とも呼ばれるほどの名将でもありました。義経の類稀なる戦さの戦法は、幼い頃過ごした場所にヒントが隠されていたようです。

 

目次

源義経 バランス感覚は身を助ける

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源氏を率いて平家を滅ぼした戦の天才・源義経。

武芸の達人として数々の伝説を残す義経だが、なぜ活躍できたのか?

義経の身体能力の秘密を現代医学の目で解き明かす。

浮かび上がってきたのは人並み外れたバランス感覚。

さらに、日本史上屈指のイケメンのイメージがある義経の実像に史料を駆使して迫る。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-05-09/10/30180/1800051/)

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源義経

1159年源義朝の9男に生まれた義経。
幼い頃は牛若丸と呼ばれていました。

当時平家と源氏の争いは激しくなっており、1159年平治の乱で源義朝は平清盛に破れてしまいます。

父を失った牛若丸は母と引き離され鞍馬寺に預けられてしまいます。
孤独に育った牛若丸でしたが、山奥の鞍馬寺で武芸の稽古に励んでいました。
いつか平家を倒す日を夢見て幼き牛若丸は、修行に励んでいたのでした。

16歳の時寺をでた牛若丸。
源義経と名乗り、兄頼朝のいる鎌倉へ向かいます。

兄と協力し平家滅亡のために戦ったのでした。
戦さの天才とも呼ばれた義経は奇襲作戦で次と平家を倒していきます。

そして壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させ、父の仇を打ったのでした。

美少年と呼ばれた牛若丸

牛若丸といえば美男子、美少年と言われる人物です。

当時のイケメンとは大柄でふくよかな男性を言います。
甲冑のサイズから推測すると147cm 47.5kgの義経。
もしかすると当時のイケメンからはずれていたのかもしれません。

また平家物語の中には「義経は小柄で色白で前歯が出ている」と書かれてしました。
もしこれが事実だとすれば、美少年とは違っていることになります。
しかし平家の人達が描いた物語なので、どこまで真実なのかはわからないのです。

源義経のバランス感覚

美少年以外の義経の特徴は、戦さの方法にありました。
頼朝から平家滅亡への戦いを任されることが多かった義経。

彼は奇襲攻撃をかけ平家を次々と負かしていきました。
その代表的な戦いが一の谷の戦いです。

難攻不落な場所と言われた一の谷。
義経は高さ60m傾斜60度とも言われた山から、馬で一気に駆け下り平家に攻撃を仕掛けました。
その奇襲攻撃は「鵯越の逆落とし」と呼ばれています。

一の谷の戦法や弁慶との出会い物語から義経は類稀なるバランス感覚を持っていたとされています。
そしてその義経のバランス感覚は、幼い頃過ごした鞍馬寺にあると言われています。
義経は牛若丸の頃一本歯下駄を履いていたとされています。
この下駄を履き山の中の鞍馬寺で修行を行った牛若丸は、そこでバランス感覚を鍛えたのです。
そしてそれがのちに戦さなどで役立ったのでした。

壇ノ浦の戦いで平家滅亡に追い込んだ時も、八双飛びと呼ばれる伝説が残っています。
敵から逃げるために味方の船を次々と渡って言った義経。
この話からも彼がどれだけ身軽だったのか分かります。

兄との対立

平家滅亡の立役者となった義経でしたが、兄頼朝は彼に対して不信感を抱いていました。
そのため壇ノ浦の戦いの後鎌倉を訪ねてきた義経を鎌倉にはいれませんでした。

仕方なく京都に戻った義経でしたが、兄の刺客が送られてきます。
命の危険を感じた義経は京を出て平泉に向かいます。

平泉に藤原氏は義経を迎え入れてけれましたが、結局頼朝の兵の攻撃を受け自ら命をたったのでした。

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