75歳まで生きた戦国武将の毛利元就。「三本の矢」で有名な彼は幼い頃の経験から家族を守ることや家を守ることを大切にしていた人物でした。人生50年時代に75歳まで生きた毛利元就の健康の秘訣を探ります。
毛利元就 戦国スーパー睡眠術
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戦国時代、小さな領主から一代で中国地方10か国の太守に上り詰めた毛利元就。
その活躍を支えたのは75歳という当時としては異例の長寿。
しかも70歳を越えて子を成し、亡くなる前年まで戦場で指揮をとるほどの健康ぶり。
健康長寿の秘密はどこにあったのか?
元就の日常を探っていくと「睡眠」と「女性」が鍵を握っていることが明らかに…。
さらに元就が大病を患った時に頼った「おきゅう」の効果にも迫る。
(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-06-13/10/21478/1800026/)
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毛利元就
現在の広島県に生まれた毛利元就。
毛利家の次男として生まれますが、彼の幼少期は過酷でした。
4歳の時に母を10歳の時に父を失った元就。
兄は大内家の家来として京に派遣されてしまいます。
ひとりぼっちになってしまった元就は、家臣の裏切りにあい領地を奪われてしまい城から追い出せてしまいました。
貧しい小屋で生活を送ることになった元就。
「この先どうやって生きていけばいいのか」と自分の未来に不安を感じていました。
そんな元就に手を差し伸べたのが父の側室だっった杉大方でした。
彼女はまだ若かったのですが、元就を育てるために毛利家に残ってくれたのでした。
こうして幼かった元就は杉大方と過ごすことになります。
彼女の優しやに触れた元就。
その経験を生かし彼は大人になっても女性に敬意を払い、男女平等に務めたのでした。
遅咲きの戦国武将
兄を病気で亡くした元就は21歳の時に戦国武将デビューを果たします。
しかし実際に彼が名を上げることになったのは1551年元就55歳の時の戦「厳島の戦い」でした。
大内義隆が陶晴賢に討たれたと知った元就。
陶晴賢にこの先滅ぼされてしまうと考えた元就は陶晴賢と戦います。
この戦に勝利した元就は大内家を継承し、中国地方の西半分をおさめることになったのです。
この戦いの時すでに元就は55歳です。
人生50年の時代に遅咲きながら名をあげた元就。
ここからまだまだ彼の戦いは続くのです。
スーパードクターとの出会い
元就70歳の時、宿敵尼子家との戦いを始めます。
しかし元就は戦中に倒れてしまいました。
現代でいう脳卒中でした。
「ここまでか」と思った元就でしたが、織田信長や徳川家康も頼りにしていた曲直瀬道三が元就の治療に当たりました。
現代のスパードクターとも言える彼は元就にお灸の治療をします。
脳卒中の後遺症である体の硬縮を取るために経絡のツボにお灸を当てた治療を行い、次第に元就の体は回復していきました。
そして完全に回復した元就は尼子家との戦いに勝利し、さらに領地を広げたのです。
長寿の秘訣
人生50年時代に75歳まで生き抜いた元就。
彼の長寿の秘訣はなんだったのでしょうか?
その秘密は彼の書いた手紙から読み解くことができます。
まず1つは元就はお酒を飲みませんでした。
父と兄が若くしてなくなっている元就。
二人の病気の原因はお酒だと考えていたようです。
そのため元就自身はお酒を飲まず、息子や孫たちにも少量にしとけとすすめていたようです。
そしてもう1つは睡眠の質の良さと考えられます。
元就は早起きでしたが、多忙により睡眠時間は短かったようです。
そんな彼が長寿だったのは、睡眠の質の良さにあったようです。
睡眠の質の良さは寝付きの良さにあります。
寝つきを良くするために考えられる3つのこと
[box class=”yellow_box” title=””]・日中に頭を使う
・就寝前のリラックス
・お風呂に入る[/box]
戦国武将の中でも策略家と言われている元就は、戦術を練るために日中頭を使います。
そして就寝前には手紙を書いていました。
手紙を書くことが好きだった元就にとって、手紙を書く時間はかなりリラックスできたようです。
さらに元就はお風呂好きでもありました。
これらのことが元就の睡眠の質をよくし、それが長寿に繋がったとも言えるのです。