地下鉄の通気口に立ったマリリン・モンローの白いスカートが浮き上がるシーンは映画史上最も有名なシーンの1つと言えます。そんな名シーンを生み出したのが映画『七年目の浮気』ですが、実は1950年代の保守的な社会と戦いながら作られた作品でもあったのです。
『七年目の浮気』作品情報
タイトル | 七年目の浮気(The Seven Year Itch) |
監督 | ビリー・ワイルダー |
公開 | 1955年11月1日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 1時間45分 |
ヘイズ・コードとの戦い
1955年に公開され大ヒットした映画『七年目の浮気』ですが、実は製作にあたってスタッフ達は大きな問題を抱えていました。
1950年代のアメリカ社会は政治的にも社会的にも保守的な時代で、映画界ではヘイズ・オフィッスによる検閲が行われていました。
ヘイズ・コードと呼ばれる検閲ではとても厳しかったので、映画界は自主的に規制をしていました。
そんな時代に作られたのが『七年目の浮気』ですが、そもそもテーマ自体がヘイズ・コードに触れてしまう内容です。
『七年目の浮気』は男性の浮気をテーマにしたロマンスコメディ作品ですが、ヘイズ・コードの中に「不貞を面白おかしく描いてはならない」というのがあります。
これにより製作陣は一度は『七年目の浮気』を断念しますが、監督のビリー・ワイルダーが名乗りを上げ再び映画製作がスタートしたのです。
セリフやシーンを削られながら、ビリー・ワイルダーはじめスタッフはなんとか『七年目の浮気』を面白い作品にしようとアイディアを出し続けます。
しかしヘイズ・コードだけではなくカトリック団体も映画製作に口出ししてきます。
カトリック団体はカトリック信者に大きな影響力を持っていて、団体が認めないと信者には映画を見てもらえないのです。
厳しい検閲の中ギリギリの演出によって作られた『七年目の浮気』でしたが、残念ながら削られてしまったシーンがあります。
バスタブシーン
バスタブにつかっているマリリン・モンローが修理をしている配管工と話をするというシーンがありますが、実はそのシーンには一部がカットされた部分があります。
本当はシーンの最後に、配管工が持っている道具をバスタブの中に落とすという場面があったのです。
配管工はマリリン・モンローがつかっているバスタブの中に手を入れて道具を取り出すのですが、このシーンが検閲に触れるということで削除されてしまいました。
地下鉄の通気口のシーン
有名な地下鉄の通気口に立ったマリリン・モンローの白いスカートが浮き上がるシーンでは、削除されたセリフがありました。
風で涼むマリリン・モンローが「あなたはズボンだからムンムンしてるでしょ」とシャーマンに向かって言うセリフがあったのですが残念ながらカットされてしまいました。
さらにこのシーンの宣伝写真などを見るとマリリン・モンローのスカートは頭まで上がっていますが、映画では膝までしか映っていません。
このシーンも検閲によって最低限の露出に変えられてしまっていたのです。
マリリン・モンロー
保守的な時代の中でプレイボーイの創刊号ではヌードを披露するなど、当時のマリリン・モンローはセックスシンボルでした。
スターの階段を登り続けていた彼女は、『七年目の浮気』の撮影に入る前の1954年に元プロ野球選手のジョー・ディマジオと結婚します。
マスコミやファンが注目する中で『七年目の浮気』の撮影が始まりますが、夫のジョー・ディマジオは妻であるマリリン・モンローが注目されることをよく思っていませんでした。
彼は家庭的な妻を望んでいたのですが、マリリン・モンローは全く逆のタイプの女性です。
2人の間に少しずつ溝が出来つつ始めていた時、あの地下鉄の通気口のシーンが行われます。
マリリン・モンローは下着を2枚履いていたそうですが、ライトに当たると下着の中まで透けてみてていました。
やがて周りには野次馬が集まってきていやらしい視線が彼女に向かれれます。
マリリン・モンロー自身はそれを楽しんでいたようですが、夫のジョー・ディマジオは耐えられず撮影現場から去っていってしまいました。
その夜、2人は大げんかをしたと言われています。
ジョー・ディマジオは1人でロサンゼルスに向かい、結果2人は結婚9ヶ月目で離婚することになってしまったのでした。
マリリン・モンローにとっては辛い結末を迎えてしまうことになりましたが、映画自体は大ヒットし彼女の演技も高い評価を受け、マリリン・モンロー大御所の仲間入りを果たしたのです。
映画『七年目の浮気』は、マリリン・モンローにとってスターであり続けることを選んだ作品でもあったのです。
まとめ
映画史に残る名シーンを生み出した映画『七年目の浮気』ですが、実はその裏でスタッフは映画界と戦い、マリリン・モンローはスターである自分と戦っていたのです。
またそれは1950年代の保守的な社会との戦いでもありました。
苦しい戦いの末に生まれたのが名作『七年目の浮気』で、それは後にヘイズ・コードを撤廃させることになった作品でもあるのです。