ドキュメンタリー『リマスター:サム・クック』人種を超えて愛されたソウル歌手


1950年代〜1960年代に活躍したソウル歌手のサム・クック。彼は甘い顔立ちとその歌声で多くの人を魅了しました。黒人だけでなく白人からも人気のあったサム・クックは、自分の立場を使って人種差別撤廃に動き出します。そしてそれはやがて公民権運動にも関わりを持つようになっていくのです。人種差別の真っ只中を生きたサム・クックの人生が『リマスター:サム・クック』で現代に蘇ります。

『リマスター:サム・クック』作品情報

タイトル リマスター:サム・クック(ReMastered: The Two Killings of Sam Cooke)
監督 ケリー・デュエイン
公開 2019年2月8日
製作国 アメリカ
時間 1時間14分

Rotten Tomatoes

あらすじ

ソウル・シンガーとして人気の絶頂にあったサム・クックは、33歳という若さで命を落とす。

公民権運動への積極的な関与が、早すぎる死を招いたという説もある。

(出典:Netflix)

ゴスペル歌手

1931年ミシシッピーで生まれたサム・クック。
奴隷制は廃止されたといっても、まだまだ黒人への人種差別が続く時代。

サム・クックは家族でシカゴへ移住します。
彼の父親はシカゴで教会を開き、やがてサム・クックは聖歌隊のメンバーとして教会で歌うようになります。

これがゴスペル歌手サム・クックの始まりでした。
その後、彼は当時大人気グループだったソウル・スターラーズのメンバーとなります。
この時サムはまだ10代でした。

その甘い顔立ちで一躍人気者となったサム・クック。
それは彼目当てに教会に若い女の子がたくさんやってきたほどでした。

やがて彼はソウル・スターラーズのメンバーとして南部にツアーに行きます。
この時彼は南部のジム・クロウ法を目の当たりにすることになったのです。

また1955年には自分と同じミシシッピー州出身でシカゴ育ちのエメット・ティルが白人に殺されてしまうという悲惨な事件が起こります。

この頃からサム・クックは、「いつか有名になって黒人を助けたい」と思うようになっていったのです。

ソウル歌手

1950年代といえば、ロックンロールが生まれた時代。
サム・クックもまたロックンロールを聴いていました。

サムはロックンロールのショーを見に行き、大きな可能性を感じます。
そして彼はゴスペル歌手からの転向を決めます。

それは自分がスタートなって仲間を助けるためでもあったのです。

そして1957年に『ユー・センド・ミーを発売します。

この曲が大ヒットしたことで、彼はトップスターの仲間入りを果たします。
また彼の歌声は白人の間でも人気となり、サム・クックは人種を超えた人気歌手となっていったのでした。

しかしまだまだ露骨な人種差別が残る時代。
彼はスターとなった自分の立場を理解していて、人種差別に対する抵抗を行うようになっていったのでした。

そして黒人のミュージシャンを守ることにも力を注ぎます。
この時代は黒人の歌を白人が真似をしたり、彼らの曲を奪ってしまう時代でした。

サム・クックは仲間を守るために自らレコード会社を設立します。
そして彼は彼らの著作権を守ったのです。

公民権運動

ソウル歌手としてスターとなったサム・クック。
彼はモハメド・アリと親しくなります。

テレビの前で楽しそうにインタビューに答える2人の姿は、当時の黒人の子供達にとっては自分たちの可能性を感じさせるものでもありました。

またのちにマルコムXとも親交を深めるサム・クック。

公民権運動の真っ只中で彼もまたFBIに目をつけられるようになります。
白人の人達にも人気のあったサムは、FBIから見ると脅威でもあったのです。

そして彼は1964年「ア・チェンジ・イズ・ゴナ・カム」を発表します。

この曲は公民権運動を支持する歌であり、人種差別で不当な扱いを受ける仲間へ向けた歌でもありました。

しかしこの曲が発売されたのはサム・クックが亡くなった後です。

彼は1964年12月11日、銃で撃たれて亡くなってしまいます。
それは今でも謎が残る死に方で、たくさんの陰謀説が沸き起こるほです。

それは当時警察がきちんと捜査を行わなったことに原因があります。
大スターサム・クックの命でさえ、当時の警察から見れば自分達が嫌う黒人の1人でしかなかったのです。

彼もまた人種差別という時代の波に呑まれてしまった1人のスターだったのです。

まとめ

人種を超えて愛されたサム・クックのドキュメンタリー『リマスター:サム・クック』。

彼が歌手として成し遂げたことや、やりたかったこと。

それは全て「仲間を助けたい」という思いだったことを知ることができました。

思い半ばで亡くなってしまったサム・クックですが、今でも彼の歌は多くの黒人の中で生き続け仲間を支えているのです。