ウーマンリブ運動が盛んな1970年代前半。女子テニス選手のビリー・ジーン・キングは、女性の権利と女子テニス選手を守るために立ち上がりました。自ら「男性至上主義者のブタ」と名乗ったボビー・リッグスとの世紀の一戦。世界中の人が見守る中、2人の真剣勝負が始まりました。
『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』作品情報
タイトル | バトル・オブ・ザ・セクシーズ(Battle of the Sexes) |
監督 | ジョナサン・デイトン/ヴァレリー・ファリス |
公開 | 2018年7月6日 |
製作国 | アメリカ/イギリス |
時間 | 2時間1分 |
Rotten Tomatoes
あらすじ
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全米女子テニス・チャンピオンのビリー・ジーン・キングは、女子の優勝賞金が男子の1/8であることに反発し、仲間たちともに“女子テニス協会”を立ち上げる。
世の中でも男女平等の機運が高まる中、幾多の困難を乗り越え、女子だけの大会の開催にこぎつけるビリー・ジーン。
そこへ55歳の元世界王者ボビー・リッグスが対戦を申し込んでくる。
男性至上主義を恥じることなく、女子選手を小馬鹿にするボビーは、ビリー・ジーンとの対決で再び脚光を浴びようと目論んでいた。
そんなボビーの挑発に、一度は対戦を拒否するビリー・ジーンだったが…。
(出典:https://www.allcinema.net/cinema/363665)
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ビリー・ジーン・キング
日本ではキング夫人と呼ばれ、人気テニスプレーヤだったビリー・ジーン・キング。
彼女は、1972年全米オープンテニスで優勝し、その年の賞金金額は10万ドルを突破します。
この出来事は、女性選手としては初めての出来事で快挙となり、当時のアメリカの大統領ニクソンも、彼女に激励の電話をするほどでした。
しかし、この当時の女子の優勝賞金は1500ドルで、男子選手は8倍の1万2000ドルをもらっていました。
全米テニス協会に抗議するビリーだったが、受け入れてもらえませんでした。
当時はウーマンリブ運動が盛んな時代。
男女同権を求めて、いろんなところで運動が起きていました。
そんな時代背景の中、ビリー・ジーンも立ち上がります。
女性だけの女子テニス協会を立ち上げたのでした。
それは現在のWTAの基盤になる協会でした。
ビリー達は、WTAを立ち上げたことで、全米テニス協会を追放されてしまいました。
それでも女性の権利のために戦い続けたビリー。
彼女は1973年に当時55歳だった元テニスプレーヤーのボビー・リッグスと戦います。
エキシビジョンマッチのはずでしたが、ビリーの男性至上主義の発言により、この大会はウーマンリブの一環のような試合となり「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」と呼ばれました。
「性別の戦い」それはアメリカだけでなく、全世界で中継され注目される試合となったのでした。
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ちなみにこの大会の前にボビーに負けてしまったマーガレット・コート。
彼女は現在(2020年7月)でも歴代1位となる、グランドスラムシングルス最多優勝数24回という記録を持っています。
この記録を現在優勝数23回のセレナ・ウィリアムズが追いかけています。
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多くの女性が見守る試合、それは同時にボビーを応援する多くの男性も見ていた試合でした。
そんな重圧に負けず、ビリー・ジーンはストレートでボビーに勝ちました。
それはたくさんの女性に勇気を与える試合となり、またウーマンリブ運動をさらに盛り上げることになります。
ビリー・ジーンはこの大会後も女性の権利のために活動を続けます。
それと同時にLGBTQへの権利のためにも立ち上がりました。
劇中では描かれていませんが、のちにビリー・ジーンは自分がレズビアンであるとカミングアウトしています。
彼女は女性とLGBTQの権利のために戦い続け、2009年に大統領自由勲章を受賞しました。
ウーマンリブ運動
女性の権利を求めて立ち上がった女性達。
1960年代後半〜1970年代前半に世界的に起こった運動がウーマンリブ運動です。
『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』の中でも男性が言っているように、ブラジャーまで燃やして男性との同権を求めました。
テニス界では男女の賞金金額に大きな違いがありました。
・男子選手は客を呼べる
・男子選手の方がパワフルなテニスをする
などを理由にビリー・ジーンが求めた金額は却下されてしまいました。
この時代はまだまだ圧倒的に男性優位な時代です。
ボビー・リッグスは自らを「男性至上主義のブタ」と呼び、ウーマンリブに反対する男性達から応援されました。
「女性は台所と寝室にいればいい」と、とんでもない発言を繰り返したボビー。
でも当時ボビーのような考えを持っていた男性も多かったのです。
だからこそ、ビリー・ジーンとボビーの試合は世界的に注目される試合となったのでした。
まとめ
実際あった世紀の一戦を描いた映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』。
1970年代前半に女性の権利のために立ち上がったビリー・ジーン・キング。
彼女の姿は世界中の女性に大きな勇気を与え、希望となりました。
この映画が2018年に製作されたこと。
そこに大きな意味があるのです。