映画『シンドラーのリスト』第二次世界大戦中のポーランド ゲットーと収容所の実態


1939年9月ポーランドを侵略したドイツ軍。ポーランドに住むユダヤ人へ移動命令が下り、クラクフという街には1万人近くのユダヤ人が送られてきた。この街で一儲けしようとしていたのがドイツ人のオスカー・シンドラーだった。その後収容所へと移されるユダヤ人。シンドラーは収容所から1200人近くのユダヤ人を救うことになる。

『シンドラーのリスト』作品情報


シンドラーのリスト [Blu-ray]

タイトル シンドラーのリスト(Schindler’s List)
監督 スティーヴン・スピルバーグ
公開 1994年2月26日
製作国 アメリカ
時間 3時間15分

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あらすじ

ナチによるユダヤ虐殺をまのあたりにしたドイツ人実業家オスカー・シンドラーは、秘かにユダヤ人の救済を決心する。

彼は労働力の確保という名目で、多くのユダヤ人を安全な収容所に移動させていくのだが……。

(出典:https://www.allcinema.net/cinema/11457)

アカデミー賞受賞
・作品賞
・監督賞:スティーヴン・スピルバーグ
・脚色賞
・撮影賞
・編集賞
・美術賞
・作曲賞

オスカー・シンドラー

第二次世界大戦中、ポーランドのプワシュフ強制収容から1200人近くのユダヤ人を救ったオスカー・シンドラー。

彼はチェコ生まれのドイツ人でした。
彼は1939年にナチ党員になり、ポーランドに侵攻を見て一儲けするためにポーランドのクラクフにやってきました。

戦争中に儲けるためにシンドラーの考えたビジネスは、「ホウロウ容器会社」でした。
軍用の飯盒などを作り軍と契約して、戦争が終わるまでに一財産築こうとしていました。

・軍の契約を取るつけるために、親衛隊に賄賂をおくりお酒をおごりました。
・そして古い工場を買うために、ユダヤ人に投資してもらいます。
・さらにポーランド人よりも賃金の安いユダヤ人を従業員にしました。

あくまでシンドラーの最初の目的はお金儲けだったのです。
そのためであればドイツ人であろうと親衛隊であろうとユダヤ人であろうと関係なかったのです。

妻をチェコに残してクラクフにやってきた彼は、女好きでもありますした。
色んな女性と遊んでいましたし、ホウロウ容器会社の秘書を選ぶときは美女ばかり選んでいました。

そんなシンドラーでしたが、やがてユダヤ人への迫害のひどさを目の当たりにするようになり最終的にプワシュフ強制収容から1200人近いユダヤ人を救い出したのでした。

第二次世界大戦中のポーランド・クラクフ

1939年9月1日、ドイツ軍はポーランドに侵攻を始めます。
たった2週間でポーランドはドイツに制圧されてしまいました。

ユダヤ人には移動命令が出されます。
そしてクラクフには1万人以上のユダヤ人が送られてきました。

1941年3月20日には全てのユダヤ人がユダヤ人居住区ゲットーに移されます。
クラクフゲットーには15000人にユダヤ人が収容されました。

しかしこのゲットーも1943年3月13日に解体となります。
そして近くに建てられたプワシュフ強制収容にユダヤ人は移されることになります。

この頃ゲットーの中はA棟とB棟に分けられていて、A棟に住むユダヤ人は労働力とみなされプワシュフ強制収容に移されます。

しかしB棟のユダヤ人はプワシュフ強制収容所の所長アーモン・ゲート指示により、殺されるかまたはアウシュビッツ収容所へ送られることになってしまいました。

1944年になるとソ連軍がプワシュフに迫っていました。
そのためプワシュフ強制収容所を解体することになります。
プワシュフ強制収容所のユダヤ人はアウシュビッツ収容所へ送られることになります。

この悲劇からユダヤ人を救うために、シンドラーは800人以上のユダヤ人をプワシュフ強制収容所からチェコの収容所へ移しました。

まとめ

第二次世界大戦中のポーランド。

ドイツ軍に制圧されたポーランドのクラクフで、当時起きていたことを『シンドラーのリスト』で知ることができます。

ゲットーでの暮らし、強制収容所の実態。

同じことを繰り返さないためにも、絶対に忘れてはいけない出来事を描いている映画が『シンドラーのリスト』です。