韓国の格差社会をリアルに描いた『パラサイト 半地下の家族』。格差をコメディとホラーで描いた『パラサイト 半地下の家族』は全世界で話題となり評価されている作品です。リアルな格差社会を伝えながら、気がつかないことの恐怖と家族の絆を描いた作品にもなっていました。
『パラサイト 半地下の家族』作品情報
タイトル | パラサイト 半地下の家族(기생충) |
監督 | ポン・ジュノ |
公開 | 2019年12月27日 |
製作国 | 韓国 |
時間 | 2時間12分 |
Rotten Tomatoes
[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・作品賞
・監督賞
・国際長編映画賞
・脚本賞 [/box]
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
気がつかないことの恐怖
お金持ち家族と半地下に住む貧しい家族。
この2つの家族の格差を実際の韓国で起きている出来事に合わせて描いた『パラサイト 半地下の家族』。
ここ数年世界で作られている格差社会を描き、観客に格差の現実を痛烈に伝える作品となっていました。
その中で私が1番気になったのは、「気づいていない」ことの怖さでした。
お金持ちのパク家に潜り込んだキム一家。
パク一家の奥さんヨンギョは、キム一家の息子ギウや娘ギジョンの話を信じて最終的には家族全員を家に入れてしまいました。
全く疑うことをしていません。
それでもよくよく考えればおかしな点はあるのに、全くそれに気がつかないのです。
それどころか、自分の息子や娘の姿にも気がついていません。
さらに家の地下に4年も家政婦の夫が暮らしていたことにすら気がついていませんでした。
それは妻だけでなく夫も同じでした。
自分達のことだけしか興味のない彼らは、半地下に住む人達が水害で避難所で生活している時に息子の誕生日パーティーを開きます。
このパーティーに参加するパク家の友達はだれ1人水害に会った人たちのことを口にしません。
その姿は水害が起こっていることを全く知らないようにも見えました。
彼らは皆自分たちの世界だけのことだけに目を向けていて、自分たちの世界以外の人には興味がなく外で何が起こっているのかに何も気がついていないのです。
それを強調していたのが、キャンプに行って途中で帰ったきたパク一家。
家にはキム一家が隠れているのに全く気がつきません。
ソファで寝ていた夫婦は途中で目を覚まします。
すぐそばにはキム家の父親がいるのに、それにすら気がつかないのです。
無関心無頓着すぎて周りで起きていることに全く気がつかないパク一家。
格差社会の頂点にいる人たちの実態を、パク一家の気がつかない様子を通して描きているように感じました。
家族の姿
お金持ちで裕福な暮らしをしているパク家と、仕事もなく半地下でその日暮らしをしているキム一家。
一見パク家の方が幸せに見えますが、本当はキム一家の方が幸せなような気がしました。
お金はないですが、キム家の方に家族の強い繋がりを感じました。
どこか無機質で空虚なパク家。
夫婦なかは悪くはなさそうですが、お互いに本心で話していないように見えます。
お互いがそれぞれ真実を相手に伝えないために、秘密を抱えていることになっていました。
それに対してキム家は、良いことも悪いことも全て口にします。
相手に対する不満でもなんでも、きちんと言葉で伝えていました。
仕事がなくお金を得ることが出来ない中で半地下で苦しい生活を送っていても、家族の絆だけは強かったのです。
息子は貧しくても父に対して敬意を見せていました。
広い家のためなのかもしれないですが、パク家の家族はいつもバラバラでした。
4人が一緒に画面の中に登場するのは前半ではほとんんどなく、中盤のキャンプに出かける車の様子が初めてのように思えました。
一方でキム家は狭い家なのでいつも4人一緒です。
狭い家で4人が近い距離にいてもだれも嫌そうではありません。
みんなが家族のことが好きなんだなと感じました。
だからこそ、ラストで娘や息子が瀕死の状態になりさらに自分たちの世界をバカにされたように感じたお父さんは社長に立ち向かっていったのです。
お金で買えない家族の絆それは圧倒的にキム家の方が強く、家族の視点から見ればキム家の家族の方が幸せそうに見えました。
まとめ
韓国の格差社会を描いた『パラサイト 半地下の家族』。
しかしこれは韓国だけの問題でなく、全世界に共通する問題でもあります。
格差社会の中で「気がつかないこと」がどれほど怖いことなのか、その恐怖をこの作品の中で強く描きているように感じ取れました。
本人達は自分たちが周りに気がついていないことにさえ気がついていませんでした。
他人に無関心で自分たちだけが良ければいい社会。
それを象徴していたのがパク一家でした。
さらに無関心は家族に対しても無関心でした。
だから貧しくても家族の繋がりはキム家の方が強く、一致団結している暖かい家族のように見えたのです。