1960年代のデトロイトを舞台にした黒人音楽の歴史を描いた映画『ドリームガールズ』。フィクションではありますが、レコードレーベルのモータウンや黒人女性グループのスープリームス、そしてダイアナ・ロスをモデルとした映画になっています。ここでは『ドリームガールズ』を通してモータウンの歴史を振り返ってみます。
『ドリームガールズ』作品情報
ドリームガールズ スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
タイトル | ドリームガールズ(Dreamgirls) |
監督 | ビル・コンドン |
公開 | 2007年2月17日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間10分 |
Rotten Tomatoes
[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]助演女優賞:ジェニファー・ハドソン
音響編集賞[/box]
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
レコードレーベル・モータウン
映画『ドリームガールズ』で描かれる「Rainbow Records」は、1959年にデトロイトでタムラ・レコードとして設立され、のちにモータウン・レコード・コーポレーションと名前を変更したレコード会社のことです。
そして「Rainbow Records」の創設者のカーティス・テイラー・Jrとはモータウンを設立したベリー・ゴーディー・Jrがモデルとなっています。
自動車産業の中心の街だったデトロイトには、仕事を求めてやってきた多くの黒人が住んでいました。
その街で生まれたのがモータウンです。
モータウンの特徴は黒人音楽を中心として作られたレコード会社です。
映画の中でも言われていますが、ソウル・ゴスペル・R&B・ジャズ・ブルースという黒人がルーツの音楽は白人に真似されて白人の音楽になってしまっていました。
そんな中ベリー・ゴーディー・Jrは、白人に真似されない音楽を作り上げ、モータウンサウンドを作り上げたのです。
当時はまだまだ人種差別がはびこっている時代です。
黒人の音楽は黒人専用のラジオ局でしか流されませんでした。
映画の中ではお金を払ってラジオ局に黒人の音楽をかけてもらっている時代でした。
そんな時代にモータウン・サウンドはソウル・ミュージックとして黒人だけでなく白人の間でも大ヒットし、ヒットチャートに何曲もランクインしました。
映画では「the sound of tomorrow」となっていましたが、モータウンは「The Sound of Young America」というスローガン通りにアメリカの新しい音楽を作り続けていったのです。
また映画の中で描かれているように、キング牧師の演説をレコードにして発売したのもモータウンでした。
モータウンのアーティスト
映画『ドリームガールズ』に登場する女性グループ「ザ・ドリームズ」は、モータウンに所属し一時代を作った「スプリームス」がモデルになっています。
ビヨンセが演じたディーナは、「スプリームス」のメンバーだったダイアナ・ロスをモデルとしています。
1959年に結成された「スプリームス」はモータウンの元で発売した「愛はどこへ行ったの」が大ヒットし、この曲を皮切りにシングル曲が5局連続No.1を獲得するなど大人気グループとなりました。
映画はあくまでフィクションですが、実際にベリー・ゴーディー・Jrとダイアナ・ロスの間には子供が1人います。
彼女たちは1960年代後半に爆発的な人気を誇り、モータウンの一時代を作りました。
また映画の中で「キャンベルコネクション」と紹介されていたのは「ジャクソン5」のことです。
彼らもまたモータウン所属のアーティストでした。
ジャクソン5・ベスト・セレクション
ジェームズ・ブラウン
映画の中でエディ・マーフィが演じたジミー・アーリー。
彼はジェームズ・ブラウンがモデルになっていると言われています。
ジェームズ・ブラウンはモータウン所属のアーティストではないのですが、『ドリームガールズ』の監督を務めたビル・コンドンがジェームズ・ブラウンをモデルにしたと言っていました。
「ファンクの帝王」と呼ばれているジェームズ・ブラウンは、独特なファンキーを武器にソウル・ミュージックの頂点に上り詰めました。
映画の中ので「俺の曲にはソウルがなきゃ」とジミーは言います。
ジェームズ・ブラウンは魂のこもった歌声で多くのファンを魅了したのでした。
学びポイント
黒人音楽の繁栄を作ったデトロイトのモータウン。
映画『ドリームガールズ』ではその一部に触れることができます。
人種差別社会の中で、自分たちの繁栄と地位向上のために音楽で立ち上がったアーティストの姿を知ることができました。
映画の中の人物はみんな架空のキャラクターですが、モデルになった人物たちを知ることで彼らの歴史と音楽の歴史を学ぶことができるのが『ドリームガールズ』です。