NHK『偉人たちの健康診断』「関ヶ原の戦い 病と裏切りの西軍編」あらすじと内容


天下分け目の戦いであった関ヶ原の戦い。天下人を目指す東軍徳川家康とそれを阻止しようとうする西軍石田三成。時代が変わる戦いであった関ヶ原の戦いを健康面から見るとどうだったんでしょうか?まずは西軍から健康診断です。

関ヶ原の戦い 病と裏切りの西軍編

天下分け目の関ヶ原の合戦。

勝負を分けたのは西軍の健康問題だった!

西軍を裏切った小早川秀秋は、深刻な病で自分が裏切ったことすら理解していなかった可能性が浮上。

さらに石田三成は関ヶ原で戦うつもりではなかった!?

「裏切り」が心と体に及ぼす驚きの影響を医学的に検証。

そして一次資料からは、開戦時刻が通説より2時間も遅かったことが判明。

この開戦の遅れが西軍の健康に決定的なダメージを与えていた!?

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-09-05/10/17931/1800050/)

裏切り者 小早川秀秋

関ヶ原の戦いで西軍が負けてしまった大きな原因の1つとして、西軍側についていた小早川秀秋の裏切りが挙げられます。

健康面から彼の病気が裏切りにつながった可能性もあるのです。

1582年豊臣秀吉の妻高台院の兄のことして生まれた秀明。
当時跡取りのいなかった秀吉は、彼を養子に迎えた後継者候補の一人とします。

7歳で元服した秀秋。
次の天下人として全国が接待にやってきます。
なんと秀秋は7歳の頃から、毎日お酒を飲んでいたのです。
しかし12歳の時に秀吉の実の子秀頼が生まれると、秀秋は小早川家に養子に出されてしまいます。

これで毎日の接待はなくなったのですが、12歳にしてすでにアルコール中毒になっていたと考えられる秀秋はお酒を手放すことができなくなってしまいした。

そうして迎えた19歳の関ヶ原の戦い。
彼はこの時肝硬変を患っていた可能性があるのです。
肝硬変の末期症状として、肝性脳症があります。
錯乱状態に陥ってしまうのです。

秀秋もこの症状になっていた可能性があります。
それは西軍が作戦会議を開くために大垣城に集まった時彼はそれを拒み、反抗的な態度を見せます。
さらに3週間も琵琶湖の周りを迷走し、戦いの前なのに鷹狩りを楽しむなど不可思議な行動をとっていました。
これらの症状から考えても秀秋が肝性脳症を起こしていたと考えられるのです。

これを見た秀秋の家老二人は、困り果てていました。
そんな時に東軍も黒田長政の使いがやってきます。
「家康は家老二人をないがしろにしないから、東軍側につかないか」という内容でした。

秀秋の振る舞いに困り果てていた家老は、この使いに飛びつきます。
まだ若干19歳の秀秋ですので、家老たちが判断していたと考えられます。
これによって秀秋は、西軍を裏切り東軍についたのでした。

裏切りのショック

当初西軍側が関ヶ原で戦うつもりはありませんでした。
家康の苦手とする籠城作戦を考えていたのです。

松尾山城・南宮山城・大垣城で籠城し城攻めを苦手とする家康の軍勢を迎え撃つ予定でした。
しかし小早川秀秋が松尾山城に向かい、占領してしまいます。

このことは大垣城にいた石田三成に大きなショックを与えました。
松尾山城の麓にいる大谷吉継の軍勢を心配した三成は、大谷吉継を助けるために小早川秀秋を倒そうとしてしまいます。
家康ではなく秀秋が敵になってしまったのです。

そして石田三成はすぐに大垣城を出て関ヶ原に向かったのでした。
これがこの後の西軍の負けに繋がってしまうのです。

籠城作戦を考えていたのに、作戦を変えてしまった三成。
冷静な光成らしからぬ判断をしてしまいます。
なぜ光成がこんな判断をとってしまったかは、彼が受けた裏切りのショックにあった可能性もあります。

裏切りにあってしまうと脳の働きによって感情を抑えることができなくなってしまいます。
さらに戦略的な行動や計画を立てられなくなってしまうのです。

石田三成によって小早川秀秋に裏切られたことはとてもショックだったのかもしれません。

関ヶ原の戦い

午前8時ごろに始まった関ヶ原の戦い。
最初は一進一退でしたが、昼に小早川秀秋が西軍に向かっって攻めてきたことで西軍は劣勢になり、午後2時に東軍が勝利し戦いが終わったとされているのが、関ヶ原の戦いの通説です。

しかし新たな史料により、関ヶ原の戦いは短時間で終わったということが分かってきたのです。
しかも西軍はなすすべもなく負けてしまったようです。

それには低血糖が関係しているかもしれません。
前日の午後8時に大垣城を出発した西軍は、20km移動し午前1時に関ヶ原に到着します。
そこから夜明けの午前6時まで戦いの準備をしますが、霧が立ち込めていたことで午前10時まで待機していたのです。

一方、前日の午前3時に大垣城周辺を出発した東軍。
10km移動し、午前6時に関ヶ原に到着します。
そこから開戦の午前10時まで待機しますが、西軍と違い兵士たちにはエネルギーが残っていたのです。

移動と準備と待機でエネルーギーを使い切ってしまった西軍は、戦いが始まった時にはすでにふらふらな状態でした。
これにより東軍はすぐに戦いに勝利したとも考えられるのです。

 

どちらにしろ西軍の負けには小早川秀秋の行動が大きく関わっていたようです。
子供の頃から飲酒していた秀秋。
そんな彼の人生が天下分け目の戦いに大きく関与していたのです。