NHK『偉人たちの健康診断』「健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP」あらすじと内容

激動の戦国時代を生きた戦国武将たち。天下を取るために戦に明け暮れた武将たちは自分なりの健康法を生み出し実践していました。様々な武将が生み出した健康法。今回は戦国武将の健康法を紹介しながら、健康診断しています。

目次

健康を制する者が天下を制す 戦国武将の健康法SP

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群雄割拠の戦国時代、武将たちは戦に勝つため、独自の方法で病を克服し、心身を鍛えていた。

健康を制する者が常に天下を制してきた。

武田信玄は領内の温泉を大活用!連戦連勝を重ねることに…。

厳しい上司・信長のパワハラ対策として秀吉がはじめたある趣味。

そこには後に天下人となった秀吉の人生を狂わせる秘密も潜んでいた。

そして豊臣恩顧の大名・加藤清正の謎の死。徳川家康が毒殺したとささやかれるうわさの真相は?

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-09-05/10/17898/1800028/)

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健康対決 上杉謙信vs武田信玄

生涯のライバルと言われる上杉謙信と武田信玄
上杉謙信:70戦 43勝2敗25分
武田信玄:80戦 60勝3敗17分

12年にわたって5回も戦った2人ですが、健康面ではどうだったのでしょうか?

上杉謙信は糖尿病の可能性があったと考えれれます。
しかもその原因は大量の飲酒です。
宴会だけではなく、戦場や馬の上でもお酒を飲んでいたと言われるのが上杉謙信です。

一方で、武田信玄は戦いで何度も負傷しますが、怪我をそてもすぐに次の戦いに向けて出陣していました。
信玄がすぐに次の戦いに出陣できた理由の1つは温泉で治療だと考えれれます。

47歳で内臓疾患を患った時もラドン泉に入っています。
大病でも戦を続けることができたのは、温泉の効果だったのです。

激しい戦いを繰り広げた上杉謙信と武田信玄ですが、健康面では武田信玄の圧勝と言えるのかもしれません。

健康オタク 徳川家康

江戸幕府を開いた徳川家康は戦国武将一の健康オタクだったと言われています。

彼が健康オタクになったことに武田信玄の死が関与しています。
信玄が52歳の時、家康は三方ヶ原の戦いで信玄と戦うことになります。
最強と言われた武田軍はわずか2時間で徳川軍を破り圧勝しました。
家康は恐怖で逃げたと言われるほど強かった武田軍でしたが、53歳の時に信玄は病気が悪化してなくなってしまいました。

あんなに強かったのに亡くなってしまった信玄。
家康は信玄の死を聞き、天下取りには長生きが必要だと考えるようになったのです。
そして食事管理・薬の服用・運動とあらゆる面から健康になることを実行していったのです。

温かいものを食べ季節外れのものを食べない家康。
さらに医者よりも詳しかったと言われる薬の知識で、自ら薬を調合していました。
また毎日乗馬をするなどの運動を行い、健康に気を使いました。

そして1603年ついに江戸幕府を開くことになったのです。

家康の陰謀

薬の知識に長けていた家康にはある説があります。

江戸幕府を開いた家康でしたが、大阪には後継者の秀頼がいました。
中でも豊臣側に使える武将加藤清正は家康にとって邪魔な存在でした。

ある時、家康は加藤清正を含める豊臣家に使える家臣たちを食事会に招きます。
その1ヶ月後清正は高熱を出します。
そして食事会から2ヶ月後、清正は亡くなってしまいました。

この頃食事会に出席した豊臣家の家臣たちが次々に亡くなっていました。
そのことから、薬に詳しかった家康が殺したのではないかという毒殺説が残っているのです。

豊臣秀吉のストレス解消

天下統一を初めて成し遂げた豊臣秀吉。
若い頃は織田信長の家臣として使えていた秀吉。
織田信長は魔王と呼ばれるほど、部下に厳しい上司だったのです。
今の時代であればパワハラと捉えられるかもしれないくらいです。

そんな信長の元に使えていた秀吉。
彼は1578年三木合戦で初めて指揮官を務めることになり、三木城を落とすように名を受けます。

しかし何ヶ月経っても三木城を落とせない秀吉。
信長の存在が怖くなってしまいます。
そんな秀吉のストレスを和らげていたのが茶会でした。
は秘めて茶会を開き、癒しを感じた秀吉はその後の戦いのたびに茶会を開いていました。

抹茶の効能と狭く暗い茶室でリラックスすることができたのでした。

しかし天下人となってからの秀吉の茶室や茶会は変わっていきます。
権力を示すものとなってしまったのでした。
金ピカの茶室を作ったり、大勢を招き屋外で行った茶会。

この頃から秀吉の性格も変わってしまいました。
千利休に切腹を命じたりと、心の闇が現れるようになってしまったのでした。

 

天下を取るために毎日必死で生きていた戦国武将たち。
心が休まる時間は少なかったのかもしれません。
それでもなんとか自分の息抜きを見つけ、戦国時代を生き残ろうとしていました。

息抜きが成功した武将、失敗した武将と様々な武将がいますが、誰もが天下を目指していたことだけは同じだったのです。

 

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