NHK『偉人たちの健康診断』「戦艦大和 男たちの“健康”」あらすじと内容


全長263mの巨大戦艦である戦艦大和。連合艦隊の最強兵器であった戦艦大和にほ今までの軍艦にはない工夫がたくさん凝らしてありました。その工夫のほとんどは乗組員達の快適さだったのです。今回の健康診断はそんな戦艦大和です。

戦艦大和 男たちの“健康”

太平洋戦争中、「世界一」の巨大戦艦を目指して建造された大和だが、海軍が目指したもうひとつの世界一があった。

それは“健康”。

残された設計図や元乗組員の証言などから、戦艦大和での生活を健康診断。

画期的な水兵用ベッドや艦内エアコン、最新機器を備えた医務室などのハード面に加え、食事や運動など健康管理でも万全の理想を掲げた大和だったが、戦闘が始まると、その理想はことごとく崩れていった。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-08-29/10/12900/1800062/)


戦艦大和


タミヤ 1/350 艦船シリーズ No.25 日本海軍 戦艦 大和 プラモデル 78025

全長236m・幅38.90m・喫水10.86mの巨大戦艦大和。
46センチ砲を備える戦艦でした。
初めて大和を見た乗組員達は島が動いていると思う人がいたほど、大きな戦艦でした。

広島県の呉で秘密裏に製造されていた大和が初めて姿を表したのは昭和16年の9月でした。
その後12月に太平洋戦争が始まり、大和は連合艦隊艦となります。

昭和18年2月には姉妹艦である武蔵とともにトラック島での戦いに向かいますが、島の周りにはサンゴ礁が多く島に近づくことができず待機を命じられていました。

その後、昭和18年12月には輸送船として兵や兵器などを輸送中に、アメリカ軍の潜水艦に見つかり魚雷攻撃を受けます。
しかし大和の備える防衛システムで輸送を続けることがで、不沈艦としての威力を見せつけます。

アメリカとの戦いが激しくなってきた昭和19年6月にはマリアナ沖海戦に参加、さらには10月にはレイテ沖海戦に参加し、アメリカ空軍の激しい攻撃を受けることになります。
レイテ沖海戦では姉妹艦である武蔵が沈没してしまいます。

そして昭和20年4月7日特攻作戦として沖縄に向かった大和は、アメリカ軍の猛攻を受け3063人とともに海に沈んでしまいました。

ちなみに映画『この世界の片隅に』では結婚して広島の呉に住むことになった主人公のすずさんが、呉に戻ってきた戦艦大和を目にする場面が描かれています。

大和の快適装備

今までの軍艦と違い大和は乗組員達のことを考えて設計された戦艦でした。
生活条件をよくする事をメインにし、世界一快適で乗組員の健康を考えて設計されていました。

睡眠

今までの軍艦は兵士達は狭い部屋でハンモックで寝るという状況でした。
そのため安眠ではなく、睡眠不足や健康状態に問題が起きていました。

しかし大和ではベッドが使用されます。
ハンモックと違い平らなベッドで眠ることができる兵士たち。
寝返りも打て、熟睡ができるようになりました。

環境

軍艦の中といえば、とても暑く船の中にいるのに熱中症患者が出てしまうほどの暑さです。
しかし大和では冷房を装備していました。
元々軍艦には弾薬が爆発しないように弾薬庫には冷房が付いていました。
その設備を艦内全体に広げ、乗組員達の快適な生活環境を保つようにしたのです。

さらに売店などもあり、誰でも使えるようようになっていました。

それ以外にも個室で様式の水洗トイレや、手術まで可能な医務室なども完備されていて兵士がどんな状況になっても対応できるようにしていました。

お風呂

それまでは週に1回ぐらいのペースで海水風呂に入っていた軍艦の乗組員達でしたが、戦艦やmとでは3日に一度のペースで海水風呂につかれるようにしました。

海水風呂は温泉と同様の効果があり、しおが体を温めてくれます。
この海水風呂に浸かることで、兵士たちは疲れを取ることができたのです。

食事

乗組員達の健康を1番に考えられた戦艦では、食事に関しても工夫されていたようです。

厳しい訓練に耐える兵士たちのために1日3000kcal以上の食事が与えられていて、栄養バランスも考えられた献立になっていました。

屈曲な体を作るために、食事もかなり工夫されていたようです。

さらに長い間船に乗っていると曜日感覚がなくなってしまうので、それを防ぐために毎週土曜日はカレーライスが振る舞われます。
たくさんのスパイスが使用され薬膳料理の位置付けもあったカレーライス。
乗組員達の間でも1番の人気メニューでした。

スパイスが中水神経を刺激し乗組員達の士気も上がります。
それが彼らのパフォーマンス向上に繋がっていたのかもしれません。

戦闘配置

快適な戦艦であったことから他の軍艦の乗組員達から「大和ホテル」などと皮肉も言われていた大和乗組員達でしたが、戦争が激しくなるとその状況も一変してしまいます。

昭和19年6月のマリアナ沖海戦の頃から、大和が受ける攻撃も激しくなります。
アメリカ軍は大和の近くまで戦闘機で迫ってきます。
空を自由に飛び回る戦闘機相手に大和は追い詰められていったのでした。

その頃から大和の中ではある病気が蔓延します。
それは虫垂炎でした。

今までの快適な環境から一変して戦闘配置につきます。
食事も変わり一気に乗組員達をストレスが襲ってしまったのです。
このストレスが虫垂炎の原因だと考えられます。

さらに戦闘時配置時は大和の中は無音となります。
この無音が乗組員達を恐怖に落とし込むのです。
音のない閉鎖された空間の中にいると、感覚がどんどん研ぎ澄まされていきます。
恐怖と直面することになった乗組員達を過度なストレスが襲ったのでした。

 

世界一の戦艦と呼ばれた戦艦大和。
元乗組員達は大和での規則正しい生活が、今の自分を作っているとおしゃっています。
彼らは90歳を過ぎても元気で暮らしています。

沖縄の海で悲劇をむかえた戦艦大和は、海の底で平和で健康な暮らしを願っているのかもしれません。