NHK『偉人たちの健康診断』西太后 悲しき悪女のアンチエイジング

清国の末期の時代。清国を守り通すために力を尽くした西太后。悪女としても有名な彼女ですが彼女の心にあったのは「清国を滅ぼしてはいけない」という想いだけだったのです。今回はそんな西太后を健康診断しています。

目次

西太后 悲しき悪女のアンチエイジング

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西太后が74歳という当時としては驚異的な長寿を成し遂げた背景には「アンチエイジング」を支えた長い中国伝統医学の存在があった。

今回、西太后の健康長寿の秘密を探るため、中国に残る西太后ゆかりの地の取材を敢行。

当時のカルテや新発見の貴重な史料をひもときながら、美と若さに秘められた西太后の激動の人生の物語と中国伝統医学の奥深い世界を紹介する。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-07-11/10/8713/1800029/)

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西太后

1835年満州族の中流役人の家に生まれた西太后。
長女として生まれた彼女は両親に厳しく育てられます。
満州族では最初に生まれた子供が家を継ぐとされてい他ので、彼女は教養を身につけるように育てられました。

そんな西太后は18歳の時に清の9代目の皇帝咸豊帝のお妃選びに参加します。
1000人の中から9人選ばれたお妃たち。
高い教養を身につけていた西太后は3番目のお妃に選ばれました。

そして22歳の時には同治帝を出産します。
咸豊帝にとって初の男の子供だったため、西太后は正妻の東太后に継ぐ地位を手に入れました。

しかし西太后27歳の時に咸豊帝は病に倒れて亡くなってしまいます。
息子の同治帝が後を継ぎますが、19歳の若さで彼もまた亡くなってしまいました。
世継ぎがいなければ清国が滅んでしまうと考えた西太后は自分の甥である光緒帝を即位させます。

しかしまだ若干4歳の光緒帝。
正妻の東太后とともに後ろで政治を司る役割についたのでした。

西太后が政治に司ることになったのは、なんとしても清国を守るためだったのです。

西太后の若さの秘訣

政治を司るようになった西太后は46歳の時に病に倒れてしまいます。
かなりの重病で寝込んでしまった西太后。
しかもその原因はわかりません。
そんな西太后に処方されたのは延齢益寿丹という中医薬でした。

5000年も前から続く中国の伝統に基づいて処方される中医薬。
この延齢益寿丹のおかげで西太后は元気を取り戻しました。

現代の医学から考えると更年期障害だったと考えられる西太后。
アンチエイジングの元になる生薬や脳を活性化させる生薬が配合された延齢益寿丹を服用することが、彼女のアンチエイジングの秘訣であるまた長寿のもとだったのかもしれません。

若い頃から中医薬を服用していたとされる西太后。
それが晩年まで元気な西太后の源だったのです。

晩年の西太后

西太后55歳の時、光緒帝が19歳になったこともある西太后は政治から身を引き隠居生活を送ることを決意します。

しかし64歳の時に光緒帝が西太后を捕まえようとしている噂が広まります。
この話を聞いた西太后は先手を打って光緒帝を幽閉します。
そして再び政治の最前線へ戻ったのです。

この頃すでに体は満身創痍だった西太后。
満州族に伝わるマッサージで、免疫力を改善し自然治癒力を高めながら政治を司っていたのです。

しかし66歳の時、諸外国から不平等条約を突きつけられ北京は連合国に占領されてしまいます。
農民に変装して北京から逃げた西太后。
その時初めて庶民の食事を口にします。
粗末な食べ物だったのですが、お腹をすかせた西太后にとってはても美味しく感じました。

68歳で北京に戻った西太后は、この時食べたパンを料理人に作らせその後も度々口にしていました。
それは「民衆の心を忘れてはいけない」と自分に言い聞かせたいたのかもしれません。

 

18歳で皇帝に嫁いでから清国のために尽力を尽くしてきた西太后。
彼女の評判は清国を守ることから出た評判だったもかしれません。

1908年10月22日人生に幕を下ろした西太后。
それから3年で清国は滅んでしまいます。
どれだけ彼女が清国にとって偉大な人物だったのか分かります。

全ては清国のために。
それが彼女の人生だったのかもしれません。

 

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