大統領の執事としてホワイトハウスに約30年間務めたセシル・ゲインズ。彼が執事とした働く間に起こったアメリカの黒人に対する歴史の変動。歴史の動きを1番近くでいたセシルの目を通して、アメリカの歴史を学ぶことができます。
『大統領の執事の涙』作品情報
タイトル | 大統領の執事の涙(Lee Daniels’ The Butler) |
監督 | リー・ダニエルズ |
公開 | 2014年2月15日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間12分 |
Rotten Tomatoes
『大統領の執事の涙』あらすじ
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綿花畑の奴隷として生まれたセシル・ゲインズは、見習いからホテルのボーイとなり、遂には、ホワイトハウスの執事にスカウトされる。
キューバ危機、ケネディ暗殺、ベトナム戦争……、アメリカが大きく揺れ動いていた時代。
セシルは、歴史が動く瞬間を、最前で見続けながら、忠実に働き続ける。
黒人として、そして、身につけた執事としての誇りを胸に。
そのことに理解を示す妻とは別に、父の仕事を恥じ、国と戦うため、反政府運動に身を投じる長男。
兄とは逆に、国のために戦う事を選び、ベトナムへ志願する次男。
世界の中枢にいながらも、夫であり父であったセシルは、家族と共に、その世界に翻弄されていく。
彼が世界の中心で見たものとは?そして人生の最後に流した、涙の理由とは――
(出典:https://www.asmik-ace.co.jp/lineup/3429)
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モデルは実在した執事
執事として7人の大統領に使えたセシル・ゲインズ。
彼のモデルになったのは、実在したユージン・アレンという黒人の執事です。
彼の生涯をワシントンポストが取り上げたことで、映画化されました。
映画は史実とフィクションを混ぜて作られていますが、7人の大統領の執事だったことは事実です。
彼が使えた歴代大統領
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ドワイト・アイゼンハワー
ジョン・F・ケネディ
リンドン・ジョンソン
リチャード・ニクソン
ジェラルド・フォード
ジミー・カーター
ロナルド・レーガン
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映画の中では7人の大統領になっていますが、実際はハリー・トルーマンの時代からホワイトハウスに務めていますのでユージン・アレンは8人の大統領を見て来たことになります。
アメリカの中の激動の時代を、アメリカの中心で見てきた彼はどんな思いを胸に描いていたのでしょうか?
それを映画ではホワイトハウスにいるセシルと、黒人の権利のために戦う息子ルイスとの関係で描いています。
ルイスは政府と戦いながら黒人の権利を主張しますが、セシルは大統領に自分の姿を見せることで黒人のことを理解してもらっていました。
映画の中でキング牧師が言います。
「彼らは真面目に働くことで黒人像を変えていった。彼らは人種の壁を崩していった。彼らは戦士なのだ」と。
ホワイトハウスの中で、彼も必死に戦っていたのでした。
アメリカの公民権運動
『大統領の執事の涙』を見ると、アメリカで黒人がたどって来た歴史を振り返ることができます。
冒頭映画は綿花畑から始まります。
セシルは奴隷として働く黒人の両親の元に生まれました。
奴隷の息子セシルが、アメリカの変化を大統領の変化とともに見ていたのです。
エメット・ティル事件
ミシシッピー州で1955年14歳の少年エメットは、白人の女性に口笛を吹いたことで、その夫などに殺されてしまいます。
そして遺体は川に捨てられてしまいました。
映画ではその事件の3年後。
エメットの母親メイミー・テイルが演説を行っていることが語られています。
セシルは「南部の事件だ」と言いますが、この時代南部での差別はひどかったのです。
リトルロック高校事件
1957年にアーカンソー州のリトルロックの高校で起こった事件です。
1954年に学校は人種統合されましたが、リトルロックでは知事が黒人が学校に通うことを阻止します。
当時のアイゼンハワー大統領は連邦法を施行するために、リトルロックに陸軍を派遣するとを発表しました。
セシルはアイゼンハワー大統領の英断だと語っています。
ナシュビル座り込み運動
黒人の公民権運動の1つである座り込み運動。
映画の中ではナシュビルで起きた座り込み運動が描かれています。
当時、多くのものが白人用黒人用と分けられていました。
レストランでも席は分けらています。
ナシュビルの人種差別を反対する学生たちが、レストランで白人用の席に座り注文します。
オーダーを取ってもらえず席の移動を求められますが、彼らは何時間も動かなかったのです。
白人たちに罵声を浴びせられ、暴力を受けても動きません。
最終的には警察に捕まってしまったのでした。
フリーダム・バス爆破
当時は黒人と白人でバスの座席も分けられていました。
それに対抗して黒人であっても自由に座席に座れるフリーダム・バスに乗り、公民権運動が展開されていました。
ある日そのバスがKKKに囲まれてしまい、爆発するという事件が起きました。
人種差別法の禁止
ジム・クロウ法とは黒人(有色人種)が公共施設を利用することを禁止する法律です。
この法律は1876年から施行されていました。
ケネディ大統領はキング牧師らのデモ運動を見て、黒人の苦難を理解します。
そしてケネディ大統領は、公共の場で誰でも平等にサービスを受けることができる法案を発表しました。
血の日曜日
1965年3月7日キング牧師を始め多くの人たちが、黒人の公民権を求めセルマを出発します。
順調に行われていたデモですが、アラバマ橋を渡ったところで、騎馬隊がデモに襲いかかったのでした。
無抵抗のデモ隊に騎馬隊は次々と襲いかかります。
そして多くの人が犠牲になったのでした。
キング牧師暗殺事件
1968年4月4日。
メンフィスのモーテルでキング牧師が暗殺されてしまいます。
この事件はアメリカ中の黒人に大きな悲しみを与えました。
悲しみで多くの町で黒人の暴動が起こります。
非暴力で活動をしていたキング牧師が亡くなったことで、黒人の公民権運動も変わり始めたのです。
ブラックパンサー党
ブラックパンサー党は公民権運動を訴える政治組織で、貧しい子供達に無料で食事を提供するなどの活動を行っていましたが、公民権を勝ち取るために武器をもつという考えを持っていました。
キング牧師が亡くなったことで動きを活発化させます。
ベレー帽をかぶり革のジャケットやパンツを着て、銃を持って活動していました。
ニクソン大統領はブラックパンサー党の活動を取り締まりました。
まとめ
黒人の公民権運動と政府の関係を近くで見てきたセシル・ゲインズ。
奴隷の息子として生まれた彼が黒人の大統領誕生を目にする日がきたとき、彼はどんな思いを描いたのでしょうか?
『大統領の執事の涙』を見ると、アメリカの黒人がたどってきた戦いの歴史を知ることができます。