自分勝手な人間を描いた物語映画『羅生門』。人間のエゴを描いたこの作品では4人の人物が語ることが全く違います。一体誰が真実を言っているのか?それとも全員嘘をついているのか?4人の話を聞いて人間の心を信じられなくなってしまう旅法師。エゴに取り憑かれた人間は鬼が逃げ出してしまうほど恐ろしい生き物なのでしょうか?
『羅生門』作品情報
タイトル | 羅生門 |
監督 | 黒澤明 |
公開 | 1950年8月26日 |
製作国 | 日本 |
時間 | 1時間28分 |
Rotten Tomatoes
あらすじ
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平安時代、都にほど近い山中で貴族女性が山賊に襲われ、供回りの侍が殺された。
やがて盗賊は捕われ裁判となるが、山賊と貴族女性の言い分は真っ向から対立する。
検非違使は巫女の口寄せによって侍の霊を呼び出し証言を得ようとする、それもまた二人の言い分とは異なっていた……。
(出典:https://eiga.com/movie/31376/)
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[box class=”red_box” title=”アカデミー賞受賞”]・名誉賞[/box]
食い違う4人の証言
あるひ山の中で金沢武弘と言う侍の死体が発見されます。
その侍の死体が見つかった事件に関して検非違使が取り調べを行います。
(検非違使とは、天皇に変わって法律違反を犯した人物を検察する人のことを言います)
しかしその取り調べを受けた3人は全く別の証言を話し、事件を一部始終見ていたとされる男もまた全く違う内容を語ってたのでした。
多襄丸
事件は多襄丸という盗人が金沢武弘との連れていた妻の真砂を手込めにしたことから始まります。
多襄丸は真砂を手込めにした後その場から去ろうとしますが、真砂から「どちらかが死んで、生き残った方についていくから」と言われます。
その言葉を聞いた多襄丸は武弘と剣で勝負します。
激しい戦いでしたが結果多襄丸が武弘を殺し勝ちます。
勝負がつき多襄丸は真砂の方を振り返りますが、真砂はすでにいなくなっていました。
真砂
真砂は多襄丸に手込めにされた後、多襄丸はその場から去ったと証言します。
そして自分は縛られている夫の元に向かいますが、夫は真砂のことを蔑んだ目で見ていました。
夫のその視線に耐えられなくなった真砂は、短刀で夫の胸を差して殺してしまったのです。
武弘
すでに亡くなった武弘の証言を聞くために、巫女を使って武弘を呼び出してもらいます。
その武弘の証言では、多襄丸は手込めにした妻に向かって「自分の妻になる気はないか」と話していたと言います。
多襄丸の言葉を聞いた真砂は「どこへでも連れてってください」と言い、さらに多襄丸に「あの人を殺してください」と夫の方を指差し何度もお願いしました。
そんな妻の姿を見て悲しさを感じた武弘は、妻が逃げ多襄丸が去った後、自ら命を立ったのでした。
杣売りの男
武弘の死体を見つけ検非違使に知らせた杣売りの男は、実は事件の一部始終を草むらの影から見ていました。
(ちなみに杣売りとは材木を売っている人です)
多襄丸は真砂を手込めにした後、真砂に「俺の妻になって欲しい」とお願いしていました。
しかし真砂が「無理です」と答えます。
一方武弘はそんな妻を見て「なんで自害しないのか」と真砂に向かって言います。
その言葉に怒り本性を見せた真砂は、男2人に向かって「お前たちはバカだ」と言います。
そして男2人を唆し戦うように仕向けました。
多襄丸と武弘は何度もこけたりしながら無様な戦いを続けますが、結局多襄丸が武弘を殺してしまいます。
そしてそれを見ていた真砂は怖くなって逃げ出したのでした。
自分勝手な人間達
全く食い違う証言をする4人。
聞いていた下人は「人間というものは自分に都合の悪いことは忘れてしまう。都合のいい嘘を本当と思ってしまう、それが楽だから」と言います。
そして旅法師が「恐ろしい」と怯えていると、下人は「羅生門に住んでいた鬼でさえ逃げ出すほど人間は恐ろしい」とも言いました。
一部始終を見ていたと言う杣売りの話さえ真実かどうか分かりません。
自分勝手な証言をする3人。
もし仮に杣売りの話が真実だとすると、3人とも自分の責任逃れをするための自分勝手な証言をしていたことになります。
しかし杣売りも真砂の短刀を盗んだことを考えると、真実を話しているかどうか分からないのです。
4人の話を聞いて「こんなに恐ろしい話はない」と怯える旅法師。
でも彼の心のどこかにはそれでも人を信じたいと言う気持ちが残っていました。
責任逃れのために、自分の見えのために嘘をつく人勝手な人間。
一方で最後まで人を信じたいと思う人間。
そんな人間の善行と悪行が描かれていました。
まとめ
巨匠黒澤監督のが作った『羅生門』。
監督はこの作品で人間のエゴイズムについて描いています。
1950年に作られたこの作品ですが、ここに登場する自分勝手な人の物語は現代にに通じる話です。
だからこそ今見ても深く考えさせられる映画になっているのかもしれません。