大ヒット映画となり「人生はチョコレート箱みたい」という名言まで生まれた映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』。主人公のフォレストの人生をみることでアメリカの歴史を振り返ることができる映画にもなっていました。
目次
『フォレスト・ガンプ/一期一会』作品情報

タイトル | フォレスト・ガンプ/一期一会(Forrest Gump) |
監督 | ロバート・ゼメキス |
公開 | 1995年3月11日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間22分 |
Rotten Tomatoes

『フォレスト・ガンプ/一期一会』のあらすじ
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知能指数は低いが脚力と意志の強さは人一倍強いフォレスト・ガンプ。
バスを待つ彼が行きずりの女性に語った半生は、時代を動かすような華々しい活躍に満ちていた。
だがその一方で数々の大切な人を失ってきたガンプは、幼なじみのジェニーに再会したいと願う。
(出典:https://video.unext.jp/browse/person/PRN0008093?td=SID0003972)
知能指数75のフォレスト・ガンプ。
周囲から他の子供とは違うと言われますが、フォレストの母親は彼にみんなと同じチャンスを与えると言い、他の子供と同じように生活をさせます。
母親はフォレストに「人生はチョコレートの箱みたい。食べるまで中身は分からない」と教えていました。
フォレストは幼い頃に出会ったジェニーを愛し続け、離れていても彼女のことを常に送りながら人生を送っていました。
そんなフォレストの純粋無垢な人生の物語です。
フォレスト・ガンプに人生とともに振り返るアメリカの歴史
『フォレスト・ガンプ/一期一会』では、主人公のフォレストの人生を見るとアメリカの1950年〜1980年の歴史を見ることができます。
フォレストの由来
アラバマ州に住むフォレスト・ガンプ。
フォレストの名前の由来はネイサン・フォレストからです。
彼はKKKの創設者です。
この時のシーンでは、映画『国民の創生』のシーンが使われネイサンの顔がフォレストを演じたトム・ハンクスの顔になっています。
なぜ母親がそんな名前をつけたのかは、「人間はバカな事をすると」戒めるためにフォレストという名前にしたという事でした。
フォレストにとっては可哀想な理由に感じてしまいます。。。
家に宿泊したの若者
フォレストの母親は使わない部屋を貸して収入を得ていました。
旅人や若者がフォレストの家にはたくさんいたのです。
そんな若者の中にギターを弾く青年がいました。
それはエルヴィス・プレスリーだったのです。
脚に装具をはめたフォレストの動きを見て、プレスリーはあの有名なダンスを思いついて今いました。
1956年にプレスリーはテレビに初めて出演し、そのダンスを披露し熱狂的なファンを作りました。
そんなプレスリーはテレビに出る前に、フォレストの家に泊まったことがあったのでした、
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アラバマ大学時代
フォレストはアラバマ大学に入学します。
アラバマ大学では1956年、初めて黒人学生が入学するという事で暴動が起きました。
大学に入学したのはオーザリン・ルーシーさんです。
当時のアラバマ州知事のジョージ・ウォレスは「人種隔離」を政策としていたため彼女の入学を認めようとしませんでした。
この時の様子が映画の中で出てきます。
フォレストがノートを落とした女性にノートを拾い渡してあげます。
この女性がオーザリン・ルーシーさんなのです。
のちにジョージ・ウォレスは銃撃されますが、そのこともフォレストは話しています。
ケネディ大統領

出典:IMDb
大学でフットボールを始めたフォレスト。
足の速いフォレストはランニングバックとして大活躍します。
全米代表チームに選ばれホワイトハウスに呼ばれケネディ大統領と面会しました。
その後ケネディ大統領は1963年11月22日パレード中に暗殺されてしまいます。
さらに1968年にはケネディ大統領の弟ロバート・ケネディも暗殺されてしまいます。
ベトナム戦争

出典:IMDb
大学を卒業したフォレストはそのままアメリカ陸軍に入隊します。
その頃のアメリカはベトナム戦争の真っ只中でした。
ベトナム戦争は1964年8月2日に起こったトンキン湾事件をきっかけに始まります。
そして1965年3月に3500名ののアメリカ軍が、ベトナムのダナン港に上陸したのでした。
フォレストはアメリカ軍としてベトナムに向かいますが、その頃ジェニーは反戦運動の活動を行っていたのでした。
反戦運動

出典:IMDb
アメリカに帰国したフォレストはベトナムでの行動を称えられ、名誉勲章を受賞します。
その時にフォレストはジョンソン大統領と会ったのでした。
その授賞式の後、首都ワシントンの観光に出かけたフォレスト。
1969年11月15日。
その日ワシントンでは大規模な反戦運動の集会が行われていました。
その集会のシーンには反戦運動のリーダーのアビー・ホフマンらしき人物も登場します。
卓球で中国へ
1969年7月20日。
人類至上初の月面着陸が行われている頃、フォレストは卓球で外交を行っていました。
アメリカ代表として中国に行きます。
その後トークショーに出演しますが、その時隣にいたのはジョン・レノンでした。
この時のジョンとフォレストの会話は「イマジン」から引用していました。
ウォーターゲート事件
卓球での功績を称えられたフォレストは、ニクソン大統領から激励されます。
この時にニクソン大統領に言われ泊まったホテルが、ホテル・ウォーターゲートでした。
その夜、前の建物に懐中電灯の明かりを見たフォレストは眠れないと軽微に電話していました。
これはウォーターゲート事件でした。
フォレストは建物に侵入している様子を見ていたのです。
その後ニクソン大統領は辞任することになります。
1972年6月に起きたウォーター事件のことは映画『大統領の陰謀』で描かれています。
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ハリケーン カルメン

出典:IMDb
エビ漁を始めたフォレスト。
ダン小隊長とともに海に出ます。
しかしなかなかエビは獲れませんでした。
そんなある日、2人は海で嵐に遭遇します。
その嵐はハリケーンカルメンだったのです。
ハリケーンカルメンは1974年8月29日〜9月10日に渡って発生したハリケーンでした。
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母親の病気のためアラバマに戻ったフォレストは、海に戻ることはありませんでした。
ダン小隊長はエビ漁で稼いだお金をフルーツ会社に投資ししてくれました。
そのおかげでフォレストはお金を得たわけですが、このフルーツの会社とはアップルの事です。
フォレストはマークのリンゴを見てフルーツ会社だと思ったのです。
1977年1月に設立された「アップル コンピューター」。
設立当初のアップルに投資するとは、ダン小隊長はかなり先見の目を持っていたことになります。
まとめ
『フォレスト・ガンプ/一期一会』を見ると、1950年〜1980年に置けるアメリカの政治的な流れやカルチャーなどが分かるようになっています。
逆にその流れを知らないと、楽しめない映画かもしれません。
アメリカの歴史を知ってから見直すと、違った楽しみ方があるかもしれません。
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(2019年1月現在)