死人が蘇るようになってしまった世界。そんな世界でゾンビから逃げ続ける大学生のジェイソンは、逃げる途中ずっとカメラを回し続けています。何が起きてもカメラを手放さないジェイソンに仲間は苛立ちを覚えますが、ジェイソンがカメラを回し続けたのには彼なりの使命があったのです。
『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』作品情報
タイトル | ダイアリー・オブ・ザ・デッド(Diary of the Dead) |
監督 | ジョージ・A・ロメロ |
公開 | 2008年11月15日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 1時間35分 |
Rotten Tomatoes
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
記録することの意味
死人が蘇りゾンビだらけになってしまった社会。
それはアメリカだっけでなく全世界で起きていることでした。
そんな中でホラー映画を撮影していた大学生のジェイソンは、どんなことが起きても彼はカメラを回し続けます。
自分と友人の身に起きたことを全てありのままに伝えたかったジェイソン。
だからどんなに友人達が怒っても彼はカメラを止めませんでした。
止めたのはたった1回。
州兵に銃を向けられ「カメラを切れ」と脅された時だけでした。
彼はカメラを回し続け自分が撮影した映像をネットに上げることで、世界中を救おうとしていました。
真実を伝えることで生き残る術をみんなに知らせようと使命感に駆られていました。
しかしやがて彼はレンズ越しに見る世界に対して傍観者になっていったのです。
ゾンビの世界にいるのはジェイソンも同じはずなのに、ジェイソンにはそれはカメラの向こうの世界になってしまいました。
そしてカメラの向こうで友人がゾンビに襲われそうになっても彼は助けることをしません。
友人を助けるよりも使命感が先立ってしまったのです。
そこまでしてカメラを回し続ける意味。
感覚がマヒしていくジェイソンの使命感とは一体なんだったのでしょうか?
結局ジェイソンはゾンビに殺されてしまいます。
彼の恋人デブラは「自分たちは失敗した」と述べています。
そしてその失敗から学んでもらうために、ジェイソンが撮り続けた作品を完成させました。
カメラを回し続けたことでの失敗。
報道は記録することだけなのか?
目の前で起こっていることに対して傍観者たちになっている私たちへの忠告だったのです。
溢れる情報
時代が進化し今ではいつでもどこでも映像撮ることができるようになりました。
カメラがなくて携帯で簡単に撮影できます。
映画が公開されたのは2008年なので携帯でしたが、今ではスマホの発展により簡単に綺麗な動画が撮影できるようになったのです。
そして色んな人が自分の撮影したものをネットに上げるようになりました。
その結果世界は情報で溢れてしまったのです。
逆に言えば私たちは簡単に世界中の映像を見ることができるよになったのです。
中には編集された嘘の情報もあります。
情報が溢れたことで、私たちは真実を見極めなくてはいけなくなりました。
ネットが普及した今、私たちが得る情報はプロの映像ではなく一般人が撮影したものが多くなっています。
情報源が一般人になってしまいました。
そして自分の意見や気持ちに基づいた主観の情報が多くなりました。
公平に現場を映し出したのではなく、明らかに撮影者の意志で撮影された映像です。
その中には事実を歪めたものもあるのです。
また主観によって撮影されたことで、事実が間違ったように伝わってしまいます。
情報の受け取り手は、映像を見ることで簡単に騙されてしまうのです。
情報が溢れてしまったことで、私たちの世界は真実が分からない状態に陥ってしまったいるのです。
まとめ
死人が蘇る世界でカメラを回し続けた大学生の物語『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』。
ゾンビから逃げる大学生の姿を映しながら、それは明らかに溢れた情報社会への問いかけになっていました。
報道することの意味をマスコミに問いかけ、さらにはフェイク映像に対しての危険を訴えている作品でもあります。
2008年に公開されたこの『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』は、この頃よりももっと情報が溢れてしまった今の未来を予言しているかのような作品になっていました。