映画『フルメタル・ジャケット』1968年1月 テト攻勢とその後の攻防戦


ベトナム戦争真っ只中のアメリカで海兵隊員に志願した若者達。辛く厳しい訓練を終えた若者が向かったのは激しい戦争真っ只中のベトナムでした。戦闘報道員がダナン基地で過ごしていたのは1968年1月31日。その日の北ベトナム軍による一斉攻撃が行われました。ここでは旧正月に起こったテト攻勢について調べてみました。

『フルメタル・ジャケット』 作品情報


フルメタル・ジャケット (字幕版)

タイトルフルメタル・ジャケット(Full Metal Jacket)
監督スタンリー・キューブリック
公開1988年3月19日
製作国アメリカ/イギリス
時間1時間56分

あらすじ

(引用:MIHOシネマ

テト攻勢

映画『フルメタル・ジャケット』の後半の舞台は1968年1月31日。

この日はベトナムの旧正月にあたり、戦争は休戦になると南ベトナム軍やアメリカ軍は考えていました。

それほど旧正月はベトナム人にとって大切な祖先を弔う日で、戦争中であってもテトの日には休戦となっていました。

例年通り1968年のテトの日は休戦になると考えていた南ベトナム側でしたが、この裏をかいたのが北ベトナム軍でした。

この日は戦いはないと油断している南ベトナム軍側に対して、一斉攻撃を仕掛けます。

そんな1968年1月31日のテト攻勢の夜を描いたのが『フルメタル・ジャケット』でした。

北ベトナム側は、南ベトナムの主要都市に一斉に攻撃を行いました。

これにより映画の中でも説明されている通り、サイゴンにあるアメリカ大使館が占拠されました。

テト攻勢は北ベトナム軍にとって奇襲攻撃で各都市で激しい戦いが行われましたが、結果的には南ベトナム側が勝利を収めることになります。

しかしこの時の様子をアメリカ国民の多くがテレビで見ることになります。

劇中でもカメラマン達は兵士を撮影する様子が映っていましたが、この報道がアメリカ国民のベトナム反戦運動を高めることになったのです。

 

戦闘報道員

訓練学校で激しい訓練を終えたジョーカーは、戦闘報道員としてベトナムに向かいました。

彼の仕事は戦地の状況を兵士たちに伝えることでしたが、それは兵士の士気を高めることでもありました。

そのため、彼らが書くのは「アメリカ軍が北ベトナム軍やベトコンを支配している記事」か「何人敵を倒したという記事」の2つだけです。

それは兵士が喜ぶ記事でもあり、それ以外のマイナスとなる情報を伝えることはできませんでした。

ジョーカーの上司は「ハッピーエンディングにしろ」と記事内容を指示するほどです。

このことは、映画『グッドモーニング, ベトナム』でも触れられていて、DJのクロンナウアは検閲を通過したニュースしか放送できず、ベトナムで起こっている事実を伝えることができなかったのです。


グッドモーニング、ベトナム (字幕版)

『グッドモーニング, ベトナム』のDJクロンナウアはそのジレンマに葛藤し苦しみますが、『フルメタル・ジャケット』のジョーカーは素直に現状を受け入れていました。

彼は訓練学校で鬼教官のもと激しい訓練に耐えてきた人物で、卒業と同時にすでに彼自身が兵器となっていました。

それが鬼教官の目的でもあり、兵器となったジョーカーは軍の体制に従うようになっていたのです。

フエ侵攻

ダナン基地が攻撃を受けた後、ジョーカーが向かったのはフエと呼ばれる場所です。

劇中では「北ベトナムの支隊はフエ市に侵攻し香水川の南全域が占領された」と説明されていました。

またフエに向かったジョーカーはそこで、ベトコンに殺されてしまった住民達を目撃することになります。

これは実際にあった出来事で、ベトコンはフエの政府関係者を次々と処刑していきました。
さらに彼らは政府関係者以外にも教師や修道女なども処刑したのです。

この現場にジョーカーが向かったように、このフエで起こった出来事は世界中に報道されます。

テト攻勢の後アメリカ軍はこのフエで北ベトナム軍やベトコンと激しい戦いを繰り広げます。
その際、アメリカ軍はフエを爆撃します。

『フルメタル・ジャケット』の中でフエの建物は瓦礫と化していましたが、実際にフエでは激しい攻撃が行われていたのです。

このフエでの戦いもまた世界中で報道され、その報道がベトナム反戦運動を高めることになりました。

まとめ

映画『フルメタル・ジャケット』を見ると1968年にベトナムで起きていた戦いを知ることができます。

鬼教官によって心を失い兵器となった若い海兵隊員。

彼らを待っていたのは想像を絶する戦地の現状でした。

その現状を乗り切るには、彼らは「フルメタル・ジャケット」(完全被甲弾)になるしかなかったのです。