NHK『偉人たちの健康診断』「伊能忠敬 第2の人生の歩き方」あらすじと内容


商家の主人だった伊能忠敬が地図作りを羽島てのは55歳の時からでした。第2の人生を好きなことに没頭した伊能忠敬を今回は健康診断します。1日40km近く歩き続けた健脚の秘密や、地図作りの裏に隠された伊能忠敬の持病に迫ります。

「伊能忠敬 第2の人生の歩き方」

日本全国を歩き、正確な日本地図を作成した伊能忠敬。

17年間でおよそ4万キロ、地球1周分もの距離を歩いた忠敬だが、地図づくりに取り組んだのは実は50代半ばになってから。

決して若くはない年で、しかも「ぜんそく」や「じ」などいくつもの持病を抱えて病弱だった忠敬が、元気いっぱいの第2の人生を過ごすことができた秘密を現代医学の見地から探る。

(出典:https://www4.nhk.or.jp/ijin-kenko/x/2019-10-03/10/3638/1800041/)

ナンバ歩き

千葉県の商家の主人として働いていた伊能忠敬は、50歳の時に隠居生活に入り江戸で暮らし始めました。

「地球の大きさを知りたい」という目的のために、深川〜浅草までを歩いて距離を測ります。
そしてある2箇所の地点で天体観測をし、その角度によって地球の距離を導きだした忠敬は、それを幕府の天文学者に見せました。

すると「測定の距離が近い」と言われ、蝦夷地までの距離があれば正確な数値になると言われます。
その言葉を受けた忠敬は、未開の地の蝦夷地の地図を作るという名目で、蝦夷に向かったのでした。

1日40kmのハイペースで歩き続けた伊能忠敬はすでに55歳になっていました。
どうして55歳の忠敬が、そんなにも歩くことができたのは歩き方に秘密がありました。

それは現代の歩き方とは違う「ナンバ歩き」という歩き方でした。
ナンバ歩きとは右腕と右脚を同時に出す歩き方です。
この歩き方は、体をひねらないので腰に負担がかからなかったのです。
さらに足裏全体で着地することで、足への負担も軽くなります。

このナンバ歩きによって忠敬は、55歳でも1日40kmも歩くことができたのです。

和服に適した歩き方だった「ナンバ歩き」は、明治以降西洋文化の流行により、洋服に変わるとともに次第に消滅していきました。

忠敬はこの蝦夷地の測定で行なった天体観測の結果から、地球の大きさは3万8176.06kmと計算しました。

現代の技術を使うと地球は4万0007.86kmと計算されています。

江戸時代歩いて測定した伊能忠敬の数値が誤差はあるといえどれほど緻密なものだったのかは数字を見ると一目瞭然です。

伊能忠敬の持病

気管支炎

蝦夷地の地図を見た幕府は伊能忠敬に全国の地図作りを命じます。
これにより56歳の時に、忠敬は東日本の測量に出かけます。

しかし忠敬には昔から悩まされていたっ持病がありました。
現代でいう気管支炎です。
梅雨時期の測定だったこともあり、夜明けから朝方に忠敬は発作に悩まされます。
しかし幕府の命令と追うことで諦めずに地図作りを進めます。

これが結果として忠敬の健康にはよかったことになります。
歩くことで心肺機能が高まり、知らないうちに喘息も収まっていたのです。

この東日本の測量は581日に及び、7000km歩いたとされています。

いぼ痔

東日本の地図を見た幕府はその出来栄えに驚き、伊能忠敬は幕臣になります。
商家から幕臣へと異例の大出世を遂げたのでした。

そして幕臣となってから今度は西日本の測量に出かけます。
幕臣となった忠敬への対応は今までとは違うものになっていました。

忠敬は現場で測定を行うことも少なくなってきます。
さらに地元の人々との交流も多くなり、籠に乗ることが増えてしまいました。

これにより、体力が落ちていったのです。
そして喘息も再発してしまいます。

71歳の時に地図の取りまとめに入るのですが、長時間の正座により長年平気だったいぼ痔も再発してしまいました。

このいぼ痔の治療に忠敬はヒルを使用したようです。
ヒルに血を吸わせるというヒル治療が当時は行われていたようです。

病におかされながらも、地図の完成を目指していましたが、74歳の時に忠敬は亡くなってしまいました。

それから3年後。
弟子たちによって地図は完成し幕府に献上されたのでした。

 

地球の大きさを計算した後も、忠敬は天体観測を行いながら地球の大きさを求めて続けていました。
最後に忠敬の出した数字は3万9869.645kmでなんと現在出されている数字と誤差0.345%でした。

「地球の大きさを知りたい」ということから始まった忠敬の地図作り。
伊能忠敬は第2の人生を測量とともに過ごしたのでした。