映画『ゴジラ』(1954年)あらすじと感想 ゴジラは何の象徴だったのか??

日本が海外に誇る作品の1つ『ゴジラ』。最初に作られたのは1954年でその後たくさんのシリーズが作られ、海外でも製作される作品となりました。東京を次々と破壊していくゴジラ。そんなゴジラは何を表していたのでしょうか?

 

目次

『ゴジラ』(1954年)作品情報

タイトル ゴジラ
監督 本多猪四郎
公開 1954年11月3日
製作国 日本
時間 1時間36分

Rotten Tomatoes

『ゴジラ』(1954年)あらすじ


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南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。

ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。

放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。

だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。

それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。

しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。

(出典:http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=86049)

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姿を現したゴジラの表すものとは


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大戸島周辺に姿を現したゴジラ。
船を次々と破壊し日本国民を恐怖に陥れます。
その後大戸島に上陸したゴジラを、古生物学者の山根博士は調査しに島へ向かいます。

そこでわかったこと。
ゴジラに付着していた砂の中に水爆実験の放射能を多量に発見したのでした。
その結果ゴジラも相当量の水爆放射性因子を帯びていると考えられたのでした。

「何度も行われた水爆実験によって住処を追われたゴジラが暴れ出した」良いうのが山根博士の考えでした。

博士はゴジラを守るべき研究するべきだと言いますが、政府はゴジラを攻撃対象としました。
その後、ゴジラは東京に上陸し、放射能を撒き散らします街を火の海としてしまいます。

政府の対策もゴジラの前にはなすすべがなかったのです。

放射能を帯びたゴジラ。
戦後9年しか経っていない時に作られた『ゴジラ』。
第二次世界大戦で使われた原爆を思い出させます。
ゴジラの後の町並みは、終戦直後のようでした。

終戦からたった9年しか経っていないのに、映画の中ではすでに水爆実験を何度も行っていました。
水爆実験への警鐘とも考えられるゴジラ。
ゴジラの登場で戦争の恐怖を思い出した国民達。
ゴジラは私たち日本人が決して忘れてはいけないもののの象徴として描かれているように感じました。

芹沢博士の苦悩


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山根博士はゴジラに攻撃するなと言いますが、政府はゴジラを攻撃します。
しかし結局ゴジラにはかなわない状況でした。

こんな状況下でゴジラを倒せるのは芹沢博士しかないと考えた尾形。
芹沢博士の作った「オキシジェン・デストロイヤー」を使わせて欲しいとお願いします。

戦争で片目を失い家に閉じこもり1人で研究を続ける芹沢博士。
戦争を経験したことで人を信じることができなくなってしまった博士でしたが、彼はゴジラを倒せるオキシジェン・デストロイヤーを開発していました。

ただし、これを公表すると兵器として使用されてしまうと考える芹沢博士はオキシジェン・デストロイヤーの使用を拒みます。
尾形の説得は失敗しましたが、テレビから流れる「平和の祈り」の歌を聞いた博士はオキシジェン・デストロイヤーの使用を決めました。

そして実はこの時にかれはもう1つ決意していたことがあったのです。
尾形とともに海に潜りゴジラと対面した芹沢博士。
オキシジェン・デストロイヤーを使いゴジラを倒すことに成功しました。

しかしこの時、芹沢博士はゴジラとともに海に残り一緒に散ってしまったのでした。
オキシジェン・デストロイヤーを平気として使用させないために、自分の命を犠牲にした芹沢博士。

物語の中で山根博士はゴジラは守るべき、尾形はゴジラを倒すべきだと言っていました。
芹沢博士はゴジラについてどうずべきなのか語るシーンは出てきません。
彼はゴジラをどう捉えていたのでしょうか?

水爆実験の結果誕生してしまったゴジラ。
ゴジラ以上の兵器の開発に成功した芹沢博士。
もしかすると二人は同じ状況にあったのかもしれません。

だからこそ芹沢博士は自分がゴジラを倒し、そしてゴジラとともに散っていくことを選んだのでしょう。

ただし、山根博士は「ゴジラが1匹だけとはとは思えない」と言います。
その言葉が深く重く突き刺さるラストシーンでもありました。

まとめ

世界に誇る日本の宝『ゴジラ』。

その初代作品が1954年に作られた『ゴジラ』でした。

ゴジラとともに本多猪四郎監督も世界に名を馳せた監督でもあります。

この作品からたくさんのゴジラが生み出されますが、初代ゴジラを愛しているファンはたくさんいます。

本多猪四郎監督がゴジラに込めた想いを感じ取ってみて下さい。

 

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