1987年に公開された『007/リビング・デイライツ』と1988年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』。どちらの作品にもソ連に侵攻されたアフガニスタンが出てきます。ジェームズ・ボンドもランボーもアフガニスタンで窮地に立たされるのですが、彼らを助けたのはムジャヒディンの戦士たちでした。
『ランボー3/怒りのアフガン』
タイトル | ランボー3/怒りのアフガン(Rambo III) |
監督 | ピーター・マクドナルド |
公開 | 1988年6月11日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 1時間42分 |
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1988年に公開された『ランボー3/怒りのアフガン』の舞台はソ連に侵攻されたアフガニスタン。
アフガニスタンの政府軍&ソ連軍と戦う兵士達にミサイルを届けに向かったトラウトマン大佐は捕虜となってしまい、ランボーは大佐を助けるためにアフガニスタンに乗り込みました。
1979年12月にアフガニスタンに侵攻したソ軍はヘリコプターで村を一層し、多くのアフガニスタンの人たちが犠牲となりました。
それに対して戦っていたのがランボーと共に戦ったムジャヒディンでした。
大佐はこのムジャヒディンにミサイルを渡そうとしていましたが、アメリカがアフガニスタンへ極秘に武器を送っていた様子は映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』で描かれています。
この作品を見るとソ連のアフガニスタン侵攻の裏で起きていたアメリカの極秘作戦の様子を知ることができます。
また1978年の4月革命が起こりその後アフガニスタンが侵攻してくるまで、アフガニスタンは平和だったということは映画『君のためなら千回でも』を見ると分かります。
この映画では平和だったアフガニスタンからタリバンに支配されてしまったアフガニスタンの移り変わりを見ることができます。
『007 リビング・デイライツ』
タイトル | 007 リビング・デイライツ(The Living Daylights) |
監督 | ジョン・グレン |
公開 | 1987年12月19日 |
製作国 | イギリス/アメリカ |
時間 | 2時間10分 |
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1987年に公開された『007 リビング・デイライツ』は4代目ジェームズ・ボンドが登場した作品でした。
物語の中盤でボンドはソ連のコスコフ将軍に捕まってしまい、アフガニスタンにあるソ連の空軍基地へ連れて行かれてしまいます。
捕まっていたボンドはなんとか基地から逃げ出しますが、その時牢屋にいた男性を助けました。
その男性はムジャヒディンの副司令官だったのです。
ボンドは副司令官と共にムジャヒディンのが暮らす場所へ向かいますが、その途中ソ連軍の攻撃によって破壊された村を見ることができます。
また彼らは村人達に歓迎されている様子も描かれていました。
本来アメリカ政府は反政府のムジャヒディンに極秘に武器を送っていたのですが、『007 リビング・デイライツ』では武器密売人のウィティカーはソ連側に武器を売っていることになっていました。
また劇中ではムジャヒディンは「ロシア人の命を奪うなら大歓迎だ」と言ってソ連軍にアヘンを売っていましたが、実際アフガニスタンにいたソ連兵達の多くが滞在中に麻薬中毒に陥っていました。
その様子は小説『君のためなら千回でも』で「ここにくるとすぐにドラッグの味を覚えてしまう」というソ連軍の兵士のセリフでも描かれていました。
『ランボー3/怒りのアフガン』でランボーがムジャヒディンに助けられたように、『007 リビング・デイライツ』でもムジャヒディンの兵士たちの協力のおかげで、ボンドはコスコフ将軍を倒すことができまたのです。
まとめ
ソ連のアフガニスタン侵攻をからめて物語を作った『007 リビング・デイライツ』と『ランボー3/怒りのアフガン』。
ムジャヒディンの強力によってジェームズ・ボンドもランボーも任務を遂行できましたが、アフガニスタンにはこの後も平和は訪れませんでした。
なぜその後のアフガニスタンに平和が訪れなかったのか?
その理由は映画『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』で描かれていますし、戦争に翻弄されるアフガニスタンの人達の様子は『君のためなら千回でも』で知ることができます。
同時期に作られた『007』と『ランボー』で触れられているのは、アフガニスタンの歴史のほんの一瞬でしかなかったのです。