1993年に公開された映画『ジュラシック・パーク』。公開されると大ヒットとなり歴代興行収入をぶり変えると作品となりましたが、映画に登場する恐竜には監督スティーヴン・スピルバーグの徹底したこだわりによって造られていました。ここでは映画界の常識を破壊した作品でもある『ジュラシック・パーク』について見ていきます。
『ジュラシック・パーク』作品情報
タイトル | ジュラシック・パーク (Jurassic Park) |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
公開 | 1993年7月17日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間7分 |
・録音賞
・音響編集賞
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恐竜へのこだわり
『ジュラシック・パーク』の原作者であるマイケル・クライトンは、映画権を求めて熾烈な争いが行われるなか、スティーヴン・スピルバーグが監督することを条件に200万ドルの映画権+脚本料でMCA(現在のユニーバーサルユ)と契約を結びました。
一方原作を読んだ恐竜好きのスピルバーグもまた、『ジュラシック・パーク』を監督したいと強く思っていました。
そんな原作者と監督の願いが重なって作られた映画『ジュラシック・パーク』の恐竜には、スピルバーグ監督のこだわりがたくさん込められています。
\\『ジュラシック・パーク』の原作小説//
ジュラシック・パーク(上)
アニマトロニクス
油圧駆動ロボットであるアニマトロニクス。
スピルバーグ監督はこのアニマトロニクスで恐竜を作ることを決めますが、監督が求めたのは原寸大のロボットでした。
さらに監督は子供騙しでなくリアルに見える恐竜を求めました。
そこでスタッフは巨大なティラノサウルスを作ることになり、大勢のスタッフは何週間もかけてティラノサウルスを作り上げました。
作成に使用された粘土は3トンとも言われていて、あまりの重さにロボットの周りで演技をする俳優にも危険が及ぶほどでした。
しかも大きすぎて操作するのも一苦労でしたが、遠隔操作で動くロボットを作りました。
スピルバーグ監督が恐竜のリアルな大きさにこだわったからこそ、映画『ジュラシック・パーク』に登場するティラノサウルスや恐竜の迫力は生まれたのです。
CG
映画『ジュラシック・パーク』はCGで初めて恐竜を作った映画でした。
今では当たり前のことですが、『ジュラシック・パーク』が作られたいた1990年代初頭には誰もが不可能だと思っていたことです。
当時CGは使われていましたが、恐竜なんて作られないと思われていたのです。
その難題に挑戦したのが、映画『アビス』で水の動きを映画『ターミネーター2』で液体金属のターミネーターをCGで製作したスタッフ達でした。
彼らは誰もができないと思っていた恐竜の動きをCGで再現します。
それを見たスピルバーグ監督は感動し、『ジュラシック・パーク』にCGで作った恐竜を登場させることにしたのです。
映画の前半で博士や子供達がティラノサウルスに襲われるシーンでは、ティラノサウルスのアップシーンはアニマトロニクスが、全身のシーンではCGが使われています。
細部へのこだわり
スピルバーグ監督がこだわったのは恐竜だけではありません。
出演するキャストは全て監督が決めていました。
有名監督であるスピルバーグの誘いを断るキャストはいなかったようで、みな快く承諾したそうです。
もちろん映画の美術にもこだわりを持っていたのがスピルバーグ監督で、テーマパーク「ジュラシック・パーク」のゲートは1933年の映画『キング・コング』のようにと美術スタッフに指示を出しています。
なので、映画の中でゲートを見たマルコム博士は、「キングコングが出るのか?」と言っているのです。
また『ジュラシック・パーク』の撮影がハワイで行われていた時、ハワイを巨大なハリケーンが襲います。
スタッフが避難するなか、スピルバーグ監督はカメラマンを連れて海の撮影をおこなっています。
『ジュラシック・パーク』に出てくる嵐の海のシーンは、ハリケーンで荒れる本当の海の映像だったのです。
まとめ
恐竜だけで細部まで監督のこだわりが詰まっている映画『ジュラシック・パーク』は、映画の歴史を塗り替えた作品です。
監督の徹底したこだわりが、子供だけでなく大人まで魅了し全世界を巻き込んでの大ヒットへとつながりました。
監督のこだわり、それに応えたスタッフ、そして何もない状況で演技をした俳優達みんなの力が合わさって誕生した物語が映画『ジュラシック・パーク』なのです。
\\『ジュラシック・パーク』の原作小説//
ジュラシック・パーク(下)
参考資料:Netflix『ボクらを作った映画たち』