007シリーズの醍醐味の1つといえば、敵の組織スペクターの会議室や可動式の敵のアジトなどのセットです。そのセットを手掛けたのはアカデミー賞で美術賞を受賞したこともある、美術監督ケン・アダムです。そんな彼の作ったセットや小物が、007シリーズの成功の鍵だったのです。
ケン・アダムが手がけた007作品
『007 ドクター・ノオ』(1作品目)
007シリーズを手掛けるイオンプロのプロデューサー2人と知り合いだったこともあり、007作品に携わることになったケンケン・アダム。
彼は007シリーズ最初の作品『007 ドクター・ノオ』では、ドクター・ノオのアジトをデザインしました。
『007 ドクター・ノオ』ではジェームズ・ボンドやボンドガールの裸のシーンが多いこともあり、シンプルでセクシーさを心がけたそうです。
さらにドクター・ノオの恐さを表すために、精神的に圧迫感のあるデザインをしました。
またこの映画の造られた1962年当時は誰も原子炉の形状を知らなかったので、専門家の意見をもとに原子炉のセットを作ったそうです。
『007 ゴールドフィンガー』(3作品目)
『007 ゴールドフィンガー』でケン・アダムが手がけたのは
[box class=”yellow_box” title=””]・ゴールドフィンガーの娯楽室
・レーザールーム(ジェームズ・ボンドが殺害されそうになった部屋)
・フォート・ノックス(金を保管してある場所)の内部[/box]
娯楽室は可動式になっていて、多くの観客が驚きと楽しさを感じました。
『007 サンダーボール作戦』(4作品目)
『007 サンダーボール作戦』で最も注目されたのは、スペクターの会議室。
こちらのセットも可動式になっていて、驚きの仕掛けが隠されていました。
さらにこの作品でケン・アダムは船のデザインにも挑戦し、水中アクションで使用された潜水艇をデザインします。
圧巻だったのは二つに分離する船。
これには多くの人が驚かされました。
『007は二度死ぬ』(5作品目)
日本が舞台となった『007は二度死ぬ』。
ホテル・ニューオータニの外観をオーサト化学に使用したのは、ロケ班にやってきたケン・アダムがホテル・ニューオータニの外観を気に入ったからでした。
またこの作品では巨大なセットが作られます。
スペクターのアジトを火山の中という設定にしたことで、140mにも及ぶセットを作ることになりました。
『007 ダイヤモンドは永遠に』(7作品目)
この作品で手がけたデザインは
[box class=”yellow_box” title=””]・ラスベガスにあるブロフェルドのアジト
・ジェームズ・ボンドが宿泊するスイートルーム
・研究室[/box]
さらに変わった乗り物のデザインも行っています。
研究室の中にあった月面着陸実験で使用されていた乗り物や、ブロフェルドが闘争時に乗り込んだ船などのデザインも全てケン・アダムによるものでした。
『007 私を愛したスパイ』(10作品目)
3作品ぶりに007シリーズに戻ってきたケン・アダム。
彼はこの作品でタンカーの内部をデザインすることになり、その巨大さから007スタジオを作ることになりました。
タンカーが原子力潜水艦が3隻も入る大きさです。
007スタジオで見事に巨大なタンカーの内部を作り出しました。
また他にも敵のストロンバーグの水中の屋敷や、KGBの将軍のオフィッスも手がけています。
『007 ムーンレイカー』(11作品目)
『007 ムーンレイカー』でケン・アダムの挑戦は、宇宙ステーションでした。
彼は宇宙ステーションをデザインするために自らNASAに出向き、あのステーションを完成させたのです。
さらに現実感を出すために原寸大の遠心マシーンを作ったり、円筒形の研究室やハングライダーを仕込んだモーターボードなどを手がけています。
まとめ
合計で7本の007作品に関わった美術監督のケンケン・アダム。
彼がいなくては007シリーズの成功はあり得なかったといえます。
「常に新しいことに挑戦していた」と語っていたケン・アダムですが、彼の手がけた007シリーズ作品を見るとそのスケールと仕掛けに毎回驚かされてしまいます。
いつも最後には敵のアジトが爆発してしまうので、時間とお金をかけて作られたセットが破壊されるのはとても残念だと感じてしまうほど、本当に見事なセットが作られていました。