1944年6月6日。連合軍はドーバー海峡を渡りフランスのノルマンディー海岸に上陸します。ノルマンディ上陸の成功により戦局が大きく変わることになった第二次世界大戦のヨーロッパ戦線。『プラーベート・ライアン』ではそのノルマンディー上陸作戦の激しさを学ぶことができます。
『プラーベートライアン』作品情報
タイトル | プラーベート・ライアン(Saving Private Ryan) |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
公開 | 1998年9月26日 |
製作国 | アメリカ |
時間 | 2時間49分 |
Rotten Tomatoes

編集賞
撮影賞
音響賞
音響編集賞
あらすじ
(引用:MIHOシネマ)
ノルマンディー上陸作戦
『プラーベート・ライアン』の冒頭で描かれる20分間に及ぶノルマンディーに上陸しようとする連合軍の兵士達。
その20分間の戦闘シーンは映画史上に残る戦いとなり、今でも多くの人の記憶に残るシーンとなりました。
1944年6月6日に行われたノルマンディー海岸への上陸。
この成功が結果第二次世界大戦の結末を大きく変えるものとなりました。
それほど大切だったノルマンディーの戦い。
映画の中でも描かれるように、激しく過酷な戦いでした。
ノルマンディー上陸作戦は1944年6月6日の真夜中から始まります。
アメリカ、イギリスの空挺部隊がフランスに空から降り立ちます。
『プラーベート・ライアン』の中でミラー大尉達が探し続けるライアンもこの航空部隊にいました。
ライアンの所属していた第101空挺師団は実際にノルマンディー上陸の降下作戦に投入されました。
その後、アメリカ軍イギリス軍カナダ軍がノルマンディの海岸に上陸します。
アメリカ軍はオマハ・ビーチとユタ・ビーチに上陸しました。
ミラー大尉達が上陸したのは、オマハ・ビーチでした。
ライアンの兄ショーン・ライアンはこのオマハ・ビーチで亡くなりました。
またもう1人の兄のピーター・ライアンはユタ・ビーチで亡くなったのでした。
オマハ・ビーチへの上陸が1番過酷な上陸となり、映画をみれば分かるように何千人もの兵士が命を落としました。
上陸した兵士たちの半分が死傷したと言われています。
空挺部隊の役割
ライアンの所属した第101空挺師団。
彼らの役割はノルマンディー上陸作戦を成功させるために、重要な橋を抑えることとノルマンディ海岸に向いているドイツ軍の砲台を破壊することでした。
しかし映画の中でも描かれているように、ドイツ軍の激しい対空砲火を浴びてしまい兵士達は下降地点からズレた場所に降りることになってしまいます。
ノルマンディ上陸後、フランスを解放するためにはノルマンディに近い港であるシェルブールを何としても確保する必要がありました。
シェルブールを拠点にして連合軍への物資を送ろうと考えていました。
ドイツ軍は川を越え戦車を送り、シェルブールの陥落を阻止しようとします。
そのために空挺部隊は橋を破壊する必要があったのです。
下降地点からズレた場所に降りたライアンも橋の監視に参加したのでした。
(ちなみにタイトルでもある「プライベート」とは階級関係なく兵士のことを呼ぶときに使います。
プライベート・ライアンとはライアン一等兵という意味になります。)
ドイツ軍の大きな戦力である戦車「ティーガー(タイガー)」。
タミヤ 1/25 戦車シリーズ No.11 ドイツ陸軍 重戦車 タイガーI型 ディスプレイキット プラモデル 30611
強力な火力と重厚な装甲で「無敵戦車」と呼ばれていた戦車です。
ドイツ軍はこの戦車の威力でフランスの街を制圧していました。
連合軍はこの戦車をシェルブールの街に向かわせないためにも、なんとしても橋をドイツ軍から死守する必要があったのでした。
学びポイント
映画史上に残る戦闘シーンが描かれた『プラーベート・ライアン』。
この映画ではノルマンディー上陸作戦の激戦がいきなり冒頭から描かれます。
上陸時の戦いの激しさを知るとともに、上陸作戦の最初の作戦だった空挺部隊のミッションや、彼らがなぜ橋を守ろうとしていたのかを理解することができます。
戦いの様子はとても残酷なシーンが多いですが、その激しいシーンを通してノルマンディーに上陸することがフランス解放のためにどれほど必須なことだったかを感じることができる映画です。