映画『硫黄島からの手紙』内容と感想 最後まで家族を思い戦った兵士たち


アメリカ視点で描かれた『父親達の星条旗』に対して日本視点で描いた『硫黄島からの手紙』。どちらもクリント・イーストウッド監督作品です。激戦地の硫黄島にいた兵士たちは家族を想う普通の兵士たちでした。そんな彼らの想いは全て手紙に託されていました。

『硫黄島からの手紙』作品情報

タイトル 硫黄島からの手紙(Letters from Iwo Jima)
監督 クリント・イーストウッド
公開 2006年12月9日
製作国 アメリカ
時間 2時間21分

Rotten Tomatoes

『硫黄島からの手紙』あらすじ


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2006年、硫黄島。地中から発見された数百通もの手紙。

それは、61年前にこの島で戦った男たちが家族に宛てて書き残したものだった。届くことのなかった手紙に、彼らは何を託したのか。

戦況が悪化の一途をたどる1944年6月、日本軍の最重要拠点である硫黄島に新たな指揮官、栗林忠道中将が降り立った。

硫黄の臭気が立ち込め、食べ物も飲み水も満足にない過酷な灼熱の島で掘り進められる地下要塞。このトンネルこそが、圧倒的なアメリカの兵力を迎え撃つ栗林の秘策だった。

最後の最後まで生き延びて、本土にいる家族のために一日でも長く島を守り抜け―。

「死ぬな」と命じる栗林の指揮のもと、5日で終わると思われた硫黄島の戦いは36日間にも及ぶ歴史的な激戦となる。

61年振りに届く彼らからの手紙。そのひとりひとりの素顔から、硫黄島の心が明かされて行く…。

(出典:https://warnerbros.co.jp/home_entertainment/detail.php?title_id=2176/)


激戦地で戦ったのは普通の青年達だった

出典:IMDb

激戦地硫黄島の送り込まれたのは、戦争経験のない普通の青年達でした。

アメリカ軍の日本本土への攻撃を防ぐためにも絶対に死守しなければならない硫黄島。
しかしすでに日本軍は劣勢に立たされていた状況でした。
国民だけでなく士官達にも真実が伝えられない状況下での戦い。

栗原陸軍中将にすら日本軍の連合艦隊が壊滅したことは伝えられていなかったのです。
1944年6月20日マリアナ沖で連合艦隊は壊滅していました。
それは硫黄島での戦いにとっては大打撃でした。
空と海から挟み撃ちでアメリカ軍を攻撃する作戦が立てられなくなってしまったのです。

もはやこの時点で硫黄島は孤立した状態だったのです。
本土への応援要請も断られた状態で、残された兵士たちは戦うしかありませんでした。

劣勢に立たされている状況下で硫黄島に送り込まれていた兵士たち。
彼らは普通の青年でした。
パン屋や衣料品店を営んでいた青年で、もちろん戦争経験なんかありません。

家族を日本に残しこの地にやってきた彼ら。
本土に帰るという希望を持ちながらも、次第に自分たちのおかれている状況に気がついていきます。

死を覚悟しながら家族へ書いた彼らの手紙。
何通も描かれた手紙は残念ながら、家族の元に届くことはありませんでした。

そしてまたそれはアメリカ兵も同じだったのです。
家族のいる普通の青年達がこの島に送り込まれ、命をかけて戦っていたのです。
お国のために戦った兵士たちの本心、家族への思い、帰りたい思いは全て手紙に託されていたのでした。

純粋ささえも奪う戦争

出典:IMDb

憲兵をクビになり硫黄島に送り込まれた清水上等兵。
犬の鳴き声が軍部の通信の妨害をしているとして、犬を始末する命令を受けますが清水上等兵にはそれができませんでした。
しかしそれが逆に非国民扱いとされてしまい、彼は憲兵をクビになってしまったのでした。

普通の心やさしき青年だった清水上等兵。
人間として当たり前のことをしただけなのに、非国民になってしまいました。

国のために戦うことを叩き込まれてきた彼でしたが、、硫黄島での現実は辛いものでもありました。
さらに自分たちとアメリカ兵は同じ人間で、同じような生活を送っていることを知ります。
彼らにも自分たちと同じように家族がいることを知った時、清水上等兵はすでに戦う心を失っていました。

「無駄死にしたくない」と感じた彼は投降することを決め、戦うことよりも生きることを選んだのでした
しかしそんな彼に待っていたのは悲しき運命でした。

心優しい青年の命さえも奪ってしまった硫黄島の戦い。
彼はただただ生きたかったのです。
そして日本本土へ帰りたかっただけなのです。
でもその願いは叶いませんでした。
それが戦争なのです。

まとめ

硫黄島での劣勢の状況の中で、彼らは何を思い戦っていたのか、それを知ることができるのが『硫黄島からの手紙』です。

そこにいたのは普通の青年達で、母を思う息子で妻を思う夫で子供を思う父親でもありました。
そしてどんなに辛くきつい状況でも彼らの心の支えは家族だったのです。

だからこそ、家族へ思いを綴った手紙を送りたかったのです。

その手紙は届くことはありませんでしたが、戦後私たちは彼らの想いを知ることができました。

彼らの気持ちは戦後ようやく私たちの元へ届いたのです。