映画『八甲田山』あらすじと解説 「天は我々を見放した」壮絶な八甲田山


1902年青森の雪中行軍の演習中に起きた八甲田雪中行軍遭難事件を元にえいた映画『八甲田山』。冬の山に挑んだ210名の青森五連隊と27名の弘前31連隊。八甲田山をそれぞれ反対側から目指した2つの部隊。何が運命を分けたのでしょうか?

『八甲田山』作品情報

タイトル 八甲田山
監督 森谷 司郎
公開 1977年6月4日
製作国 日本
時間 2時間49分

『八甲田山』あらすじ


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日露戦争開戦を目前にした明治三十四年末。

第四旅団指令部での会議で、露軍と戦うためには、雪、寒さについて寒地訓練が必要であると決り、冬の八甲田山がその場所に選ばれた。

二人の大尉は責任の重さに慄然とした。
雪中行軍は、双方が青森と弘前から出発、八甲田山ですれ違うという大筋で決った。

年が明けて一月二十日。

徳島隊は、わずか二十七名の編成部隊で弘前を出発。

一方、神田大尉も小数精鋭部隊の編成をもうし出たが、大隊長山田少佐に拒否され二百十名という大部隊で青森を出発。

(出典:https://eiga.com/movie/38771/)

1902年日露戦争でのロシア軍の攻撃に対して準備するために、冬の八甲田山で雪中行軍演習を行うとになった弘前31連隊と青森5連隊。

弘前側から青森に抜ける弘前31連隊を率いるのは、徳島大尉。
彼は少人数での部隊にし、雪山を地元の案内人に頼んで案内してもらうなど万全の準備で八甲田山に望みました。

一方青森側から八甲田山へ挑む青森5連隊。
この部隊を率いたのは神田大尉でした。

彼も少数の部隊を望みますが、事前の演習で成功したので210名という大部隊になってしまいます。
しかも指揮権を山田少佐に奪われてしまい、思うように演習を進めることができなくなってしまいます。

そしてそれが二つの部隊の運命を大きく分けてしまったのでした。

青森五連隊

© NHK ENTERPRISES, INC.

神田大尉率いる青森五連隊。
雪中行軍に210名で挑むことになりました。

現地の住民に案内をお願いしていたのに、それを随行部隊の山田少佐が断ってしまいます。
指揮権は神田大尉にあるはずでしたが、山田少佐が自分の権力を使いことごとく神田大尉の意見を退けてしまいます。

ソリを捨て荷物を担ぐといった意見にも反対したためソリ隊は大きく遅れをとってしまいました。
この辺りから天候にも恵まれず、計画が遅れ始めます。

さらに道にも迷ってしまいたった2km先の田代にたどり着くことができません。
部隊の士気も下がり始め、次々と雪の中に倒れていったのです。

天候の回復を祈りながら夜が明けるのを待ちますが、翌日も悪天候のままでした。
それを見た神田大尉は「天は我々を見放した」と嘆いたのでした。

冬の山を舐めていた数人の人間の浅はかな考えにより、多くの人が命を落とすことになったのです

明治時代の物語ですが、権力の行使は今でも変わってないと思ってしまいます。
間違った権力の行使が、大きく道を外れてしまい、さらには多くの命を失ってしまうということを忘れてはいけない教訓になる映画です。

弘前31連隊

© NHK ENTERPRISES, INC.

弘前31連隊は八甲田山で青森5連隊とすれ違うため、10泊11日という壮大な演習になります。
そのために徳島大尉は人数を少数にし、事前の準備を徹底して行います。

雪山でも案内人に従い、進みます。
さらに険しい吹雪の中では、隊員をロープで繋ぎ滑落や遭難を防ぎました。

その甲斐あって1名が足を捻挫してしまいますが、それ以外は無事に演習を終えます。

八甲田山で青森5連隊部隊の死体を発見した時には、徳島大尉もショックを受けていました。
それでも取り乱すことなく、自分の部隊の命を守るため先に進みます。

そして雪中行軍の演習を成功させました。

神田大尉と徳島大尉の考え方に差異はなかったのに、権力というものが二つの部隊の運命を大きく分けてしまいました。

まとめ

冬の八甲田山に挑んだ男たちの壮絶な演習が描かれているのが『八甲田山』です。

1977年に公開された映画ですが、今見ても雪山での戦いは痛いくらい伝わってきます。

それと同時に権力について考えさせられる映画でもあります。

若い人にもぜひ見て欲しい1本です。