映画『八甲田山』壮絶な八甲田の戦いに挑んだ青森五連隊と弘前三十一連隊


1902年青森の雪中行軍の演習中に起きた八甲田雪中行軍遭難事件を元に描いた映画『八甲田山』。冬の山に挑んだ青森五連隊と弘前三十一連隊。八甲田で出会うはずだった二つの連隊の運命を分けたものは?『八甲田山』を見ると八甲田での男たちの壮絶な戦いを知ることができます。

『八甲田山』作品情報


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タイトル 八甲田山
監督 森谷 司郎
公開 1977年6月4日
製作国 日本
時間 2時間49分

あらすじ

明治34年末、日露戦争を目前にして陸軍は寒冷地教育の不足を痛感していた。

ロシア軍と戦うためには雪中行軍をして、雪とは何か、寒さとは何かを知らねばならなかった。

その行軍の目標となったのが生きては帰れぬ冬の八甲田であった……。

(出典:https://www.allcinema.net/cinema/145925)

雪中行軍

『八甲田山』の舞台は明治34年。
日露戦争の約2年半前から始まります。

もはや日露戦争は避けて通れないこととなっていて開戦が目の前に迫っている時期
陸軍はロシア戦前に準備を行っていましたが、日清戦争で寒さから多くの兵隊が亡くなってしまったことを危惧していました。

その中でロシアの侵攻により津軽海峡と陸奥湾が封鎖されてしまう可能性もあります。
そうなってしまった時ロシア軍の攻撃で道路や線路が破壊されてしまうと、青森の太平洋側と日本海側は寸断されてしまうことになります。

寸断されれば交通は八甲田山を超えるしかありません。
その時のことを考え交通ルートの確保とさらに寒地訓練も兼ね備えた雪中行軍を行うことになりました。

参加するのは青森五連隊と弘前三十一連隊。
青森側と弘前側からスタートし八甲田山ですれ違う計画が立てられました。

命令とはいえ、青森五連隊の神田大尉と弘前三十一連隊の徳島大尉は八甲田に挑むことに危機感を感じていました。

それでも雪中行軍は行われるため、二人はそれぞれが準備を始めたのです。

映画『八甲田山』は小説『八甲田山死の彷徨』が原作です。


八甲田山死の彷徨 (新潮文庫)

しかし八甲田山で起きた遭難事件は実際に起きたことです。
登場人物の名前は実在した人物と違いますが、それぞれモデルとなる人物がいます。

『八甲田山』を見ればこの実際にあった雪中業軍がどれほど無謀なことで過酷なことだったかを知ることになります。

弘前三十一連隊

徳島大尉を指揮官とする弘前三十一連隊。
少数精鋭の27名という小隊を組みました。

装備を軽くし宿泊は民泊、さらに案内人を雇い計画を立てます。
青森五連隊と八甲田ですれ違うためには240kmもの行程になります。
10泊11日という険しい道のりになるので、徳島大尉は精鋭部隊で八甲田に挑むことを考えたのでした。

無謀だと言われながらも明治35年1月20日に雪中行軍をスタートした弘前三十一連隊
軍歌「雪の進軍」を歌いながらの雪山に挑んで行ったのです。

途中で足を捻挫した負傷者を一名出しますが、計画通りに雪中行軍は進みます。
猛吹雪や嵐にあいながらも案内人に道案内をしてもらったことが、弘前三十一連隊の雪中行軍の成功の大きな要因でした。

さらに部下を思う徳島大尉。
負傷者を汽車で帰らせ、さらに斎藤伍長が弟の死体を見つけた時も的確な指示を出します。

全員無事にに雪中行軍を成功させることが徳島大尉の1番の想いでした。

八甲田で青森五連隊の隊員たちの死体を見つけても取り乱さず前進しました。
その冷静さが弘前三十一連隊の成功に繋がったのです。

青森五連隊

神田大尉率いる青森五連隊。
神田大尉も徳島大尉同様小隊編成を望みますが、2泊3日という日程をみて上層部は中隊編成にしてしまいます。

八甲田に直接入る青森五連隊の行程は40kmです。
もし弘前三十一連隊が240kmの雪中業軍を成功させると青森五連隊の40kmの成功と比べものになりません。

そのため中隊編成で雪中業軍を行いさらに大隊本部が随行することになります。
結果総勢210名に人数で挑むことになった青森五連隊。
人数が増えた分8台のソリを使うことになってしまいます。
しかも指揮官は神田大尉ですが、上層部の大隊長もいます
大隊長は出発前は「指揮は神田に任せる」と言っていましたが、実際は自分で指示を出してしまいます。

これが青森五連隊の危機につながってしまうのです。

神田大尉も考えていた案内人を勝手に退けた大隊長。
ソリの放棄の提案も却下してしまいます。
結果ソリを放棄しなかったことでソリ隊が遅れることになってしまいました。

吹雪の中でたどり着いた馬立場で遅れたソリ隊を待っていると日が暮れてしまいます。
しかも田代を目指した先発隊からも連絡はありません。

この馬立場からは大隊長自ら指揮をとることを決め、神田大尉を田代の偵察として先行させてしまいます。
その結果本隊は立ち往生になってしまったのでした。

馬立場から田代までたった2km。
しかしその2kmの道のりが青森五連隊にとっては重くのしかかってくることになります。
この時に初の凍死者が出てしまいます。

帰営するはずが途中でも道が分かったという進藤特務総長が先頭に立ち田代を目指します。
しかし結局道に迷い進藤特務総長は逃げてしまいました。
馬立場を目指し登った急斜面で落伍者が続出し、寒さから発狂し始める人も現れました。

なんとか吹雪が収まるのを待ちますが、翌日も悪天候のままでした。
この時神田大尉は「天は我々を見放した」と嘆いたのです。

責任を取り自ら自決を選んだ神田大尉。
それでも最後に救助者を呼ぶよう指示を出し、これが12名の生存者に繋がったのでした。

青森五連隊の壮絶な雪中行軍は大きな犠牲を出してしまったのでした。

まとめ

冬の八甲田山に挑んだ男たちの壮絶な戦いが描かれているのが『八甲田山』。
実際にあった雪中業軍で何が起きていたのかを知ることができます。

八甲田山で何があったのか?
なぜ青森五連隊は遭難してしまったのか?
なぜ弘前三十一連隊は成功したのか?

映画『八甲田山』では当時の陸軍の実態を知ることができ、それが二つの連隊の運命を大きく変えてしまったということが分かります。

戦争の準備のはずだったのに戦争前に多くの犠牲者を出しことになってしまった雪中業軍。

映画を見ていると犠牲者たちの痛みが胸に突き刺さります。